歌橋
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歌橋(うたはし、生没年は未詳)は、江戸時代の幕府13代将軍・徳川家定の乳母である。大奥の上臈御年寄。
歌橋の出自については諸説あり、その祖先は徳川家康と辛酷をともにした三河武士であるとも、公卿の娘で楽宮喬子女王の下向に侍女として伴って奥入りしたともいわれている。容姿は小太りな上、お世辞にも美人とはいえなかったので好色漢の家慶でも手を出してくれなかった。しかし歌橋はとても賢く、御年寄八代に可愛がられ、二十代で八代の亡き跡を継ぐに至るのである。その後、文政7年(1824年)4月に家慶の側室であるお美津が見事男子を産み、歌橋は乳母役を買ってでたのだ。それからは、御年寄の瀧山と手を取り合いながら一橋派と対立し、家定を将軍にまで導いたのであった。その後も瀧山と協力し合い、家定正室の有宮任子や明宮秀子、天璋院を正室に迎えさせ、お志賀の方を側室に立てた。家定は人間嫌いの陰気な性格だったため、乳母である歌橋にしか心を開かなかったらしい。
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