武成帝 (北斉)
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姓名 | 高湛 |
年号 | |
廟号 | 世祖 |
字 | 延安 |
諡号 | 孝成皇帝 |
生没年 | 537年-568年 |
在位 | 561年-565年 |
父 | 高歓(第九子) |
母 | 婁妃 |
武成帝(ぶせいてい 537年 - 568年、在位561年 - 565年)は中国・北斉朝の4代目皇帝。諱は湛。高歓の第九子で生母は婁妃。同母長兄に高澄・同母次兄に高洋(文宣帝)・同母六兄に高演(孝昭帝)、 息子に高緯(後主)がいる。帝位に就任く前は長広王に封ぜられていた。武成帝は諡号で、廟号は世祖。
目次 |
[編集] 略歴
文宣帝の異母弟で、北斉建国後は長広王に封じれた。文宣帝の死後は孝昭帝の政権奪取に協力し、孝昭帝の死の間際に帝位を譲られる。しかし、帝位についた後は贅沢の限りを尽くして、民をひたすらに賦役に駆り立てたと暴君的な所業をしかしていない。息子の後主に帝位を譲り、上皇として政務を見るもののその3年後に没する。
高長恭や斛律光といった名将らが健在だったため国は守られていたが、和士開などの奸臣を用いその専横を許した。このことが北斉の滅亡の遠因となったのである。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 胡皇后
- 李夫人
[編集] 子
- 後主 高緯(温公)
- 琅邪王 高儼
- 南陽王 高綽
- 斉安王 高廓
- 北平王 高貞
- 高平王 高仁英
- 淮南王 高仁光
- 西河王 高仁幾
- 楽平王 高仁邕
- 潁川王 高仁倹
- 安楽王 高仁雅
- 丹陽王 高仁直
- 東海王 高仁謙
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カテゴリ: 中国史の人物 | 魏晋南北朝時代の人物 | 537年生 | 568年没