武隈部屋
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武隈部屋(たけくまべや)は日本相撲協会に所属していた相撲部屋の一つ。
1999年2月に元関脇・黒姫山が設立。武隈自身の息子2人(羽黒洋、羽黒國)を連れ立浪部屋から独立。新弟子を一切取らなかったこともあり、次男の羽黒國が引退し所属力士がいなくなったため、2004年3月場所後に消滅した(武隈親方は友綱部屋に移籍した)。
武隈の名跡は、出羽海部屋の関脇両國勇治郎が襲名したが、独立して武隈部屋をおこしたために、出羽一門から破門され、立浪部屋の門下に入った。このため、系統別総当りの制度下においても、武隈部屋の力士は出羽海部屋の力士と対戦させられた。
この武隈部屋は幕内力士を育てることができずに、1954年に部屋を閉じた。名跡は立浪部屋の関脇北の洋昇が継ぎ、停年により女婿の黒姫山が継承した。
[編集] 師匠
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