出羽海部屋
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出羽海部屋(でわのうみべや)は、日本相撲協会所属の相撲部屋。
初代出羽ノ海は寛政の前頭出羽海である。出羽ノ海部屋を開き大関の市野上らを育てた。1808年(文化5年)に鹿間津が年寄名跡を継承したが部屋は閉じられた。桂川が出羽ノ海となったのは1862年(文久2年)のこと。4代出羽ノ海の常陸山虎吉は横綱常陸山谷右エ門らを育て、常陸山谷右エ門が後継者となると出羽ノ海部屋は栄華を極めた。大錦、栃木山を横綱に育てるなど、多くの力士を幕内まで仕立て上げた。1922年(大正11年)に死去すると弟子の両國が継いだ。両国は年寄名跡の「ノ」を取り出羽海と改称した。これは先代に畏敬を込めてのことらしい。常ノ花、出羽ノ花と継承される間にも多くの横綱・大関らを輩出した。1968年(昭和43年)、横綱佐田の山は30歳の若さで引退すると出羽ノ花は部屋を譲った。佐田の山は部屋経営の傍ら協会の仕事にも従事していたが、協会の運営に専念するため1996年(平成8年)に鷲羽山に継承させた。
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[編集] 親方
- 出羽ノ海
- 初代:出羽海運右エ門(元前頭・山形)
- 2代:鹿間津滝右エ門(詳細不明)
- 3代:桂川立吉(元幕下・茨城)
- 4代:常陸山虎吉(元前頭・茨城)
- 5代:常陸山谷右エ門(元横綱・茨城)
- 6代:両國梶之助(元小結・長崎)
- 出羽海
[編集] 現役の幕内経験力士
[編集] 横綱・大関
- 横綱
- 常陸山谷右エ門(19代・茨城)
- 大錦卯一郎(26代・大阪)
- 栃木山守也(27代・栃木)
- 常ノ花寛市(31代・岡山)
- 武藏山武(33代・神奈川)
- 安藝ノ海節男(37代・広島)
- 千代の山雅信(41代・北海道)
- 佐田の山晋松(50代・長崎)
- 三重ノ海剛司(57代・三重)
- 大関
- 九州山十郎(福岡)
- 對馬洋弥吉(長崎)
- 大ノ里萬助(青森)
- 常陸岩英太郎(東京)
- 五ツ嶌名良男(長崎)
- 汐ノ海運右エ門(兵庫)
- 増位山大志郎(兵庫)
- 北の富士勝昭(北海道)(九重部屋に移籍後横綱に昇進)
[編集] 幕内
- 関脇
- 小常陸由太郎(東京)
- 両國勇治郎(秋田)
- 天竜三郎(静岡)
- 出羽ヶ嶽文治郎(山形)
- 福栁伊三郎(福岡)
- 綾櫻由太郎(青森)
- 新海幸藏(秋田)
- 大邱山高祥(岡山)
- 笠置山勝一(奈良)
- 肥州山栄(長崎)
- 出羽湊利吉(秋田)
- 豊嶌雅男(大阪)
- 羽嶋山昌乃武(岐阜)
- 小城ノ花正昭(佐賀)
- 出羽錦忠雄(東京)
- 福の花孝一(熊本)
- 鷲羽山佳和(岡山)
- 出羽の花義貴(青森)
- 小結
- 平幕
- 常陸嶽理市(広島)
- 義ノ花成典(東京)
- 小城ノ花昭和(千葉)
- 吉の谷彰俊(長崎)
- 龍興山一人(大阪)(平成2年2月、22歳で没)
- 金開山龍(長崎)
- 久島海啓太(和歌山)
- 鳥羽の山喜充(東京)
- 常の山勝正(鹿児島)
- 常ノ山勝正(岡山)
- 出羽嵐大輔(長崎)
- 出羽ノ花國市(石川)
- 宇都宮新八郎(栃木)
- 友ノ浦喬次(岡山)
[編集] 十両
[編集] 所属年寄
- 稲川 成典(元前頭・義ノ花)
- 出来山双一(元関脇・出羽ノ花)
- 山科 盛夫(元小結・大錦)
- 高崎 昭和(元前頭・小城ノ花)
- 中立 康照(元小結・小城錦)
- 金開山 龍水(元前頭・金開山)〔準年寄〕