沢辺瀞壱
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沢辺 瀞壱(さわべ せいいち 昭和15年(1940年)4月23日 - )は日本の埼玉県の政治家である。
飯能市議会議員(1期)、埼玉県議会議員(3期)を経て、現在は飯能市長(2期目)を務める。平成の大合併で隣接の名栗村を吸収合併した。
飯能自動車学校の代表。一男四女の父。 アナウンサーの大沢悠里と高校時代の同級生で、選挙応援のため飯能市に来たことがる。
[編集] 家族・親族
代々埼玉県飯能市岩沢の素封家として栄えてきた沢辺家は、瀞壱の祖父沢辺庄太郎が入間郡加治村の村長、父の沢辺浩(こう)が飯能町の町議会議員を努めるなど、地域のリーダーシップを取っていた。
母の実家である大野氏(飯能市)を通じ、旧家の親戚多数。新井景三飯能商工会議所会頭は従兄弟にあたる。父方の従兄弟に上田宗良元JOC理事がいる。また、妻の実家冨田氏も川島町の旧家である。
[編集] 経歴
瀞壱は父沢辺浩の長男として1940年4月23日に生まれ、地元の飯能市立加治小学校、飯能第一中学校を経て、獨協高校に進学。さらに中央大学法学部に進み、卒業後は埼玉県庁に就職した。
その後、父が創業した飯能自動車学校の経営に携わるため2年で県庁を退職。地元では飯能青年会議所の理事長やPTA会長などを歴任、地域の活動に積極的に関わるようになる。また、持ち前の法律知識を活かし、調停委員としても活動する。
[編集] 政歴
1985年には飯能市議会議員にトップ当選し、政治家としてスタート。 1989年に、当時の市川宗貞市長の後継者として市長選に出馬するも、やはり市議だった小山誠三氏に敗れて落選。
1991年、現職を破って自民党の埼玉県議会議員として初当選。 県議として県の仕事に関わるようになり、県職員時代や教習所行政の人脈を活かして活動。また、土屋義彦知事誕生に活躍。連続3期当選。
1996年、埼玉県指定自動車教習所協会会長に就任(~2000年) 1998年、飯能商工会議所会頭に就任(~2000年)
2001年、任期途中で県議を辞し、無所属(自民・公明・連合埼玉推薦)で飯能市長に当選。
2004年、飯能市制50周年で、茨城県高萩市と姉妹都市協定を結ぶ。
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