浅井万金膏
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浅井万金膏(あざいまんきんこう)とは、江戸時代~平成に愛知県一宮市浅井町で製造・販売された膏薬。別名“相撲膏”。
江戸時代~昭和時代は全国に知られ、愛知県葉栗郡浅井町(現一宮市浅井町)は“浅井万金膏の町”として知られていた。
[編集] 特徴
- 和紙に生薬を混ぜた黒色の膏薬を貼り付けた物で、現在の湿布に近い。
- 浅井万金膏を温めてから皮膚に貼り付ける。
- 打ち身、捻挫、肩こり、神経痛、腰痛、リウマチに効能がある。古い広告には、「いたむところによし」とうたわれている。
[編集] 歴史
- 1811年(文化5年):尾張国葉栗郡東浅井村(現愛知県一宮市浅井町)の森接骨院の森林平が販売開始。
- 1830年頃:尾張藩お抱え力士である境川浪右エ門(5代目)が森接骨院を訪れ、治療の為滞在する。完治後、大関まで昇進したことから、浅井万金膏は全国に知られる。
- 1997年(平成9年):製造中止。
[編集] その他
- 森林平は相撲好きであり、治療に訪れた力士を無料で泊め、世話を行なった。実際に屋敷の中に、治療に訪れた力士の為の部屋があった。森林平は実在のタニマチである。
- 森林平の子孫も代々相撲に関わり、浅井町で相撲の準場所が行なわれた事もある。日本相撲協会も森家には特別の配慮を行なっていたという。
- 現在、森接骨院は内科医院に代わったが、同じ場所に存在し、明治時代と思われる古い建物である。
- 製造・販売をしていた森林平製薬も近くに現存する。
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