浦上政宗
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浦上 政宗(うらがみ まさむね、? - 永禄7年1月11日(1564年2月23日))は戦国大名。通称与四郎、帯刀左衛門尉、のち美作守。浦上村宗の長男で浦上宗景の兄。
1531年、父・村宗が摂津天王寺で戦死して、以降家督を相続。天文末年に至り備前へ侵攻してきた出雲尼子氏との関係をめぐり、弟の宗景と対立、和睦する永禄6年(1563年)まで争いを繰り広げた。
永禄7年(1564年)正月、政宗は黒田職隆と手を結ぶため、職隆の娘を嫡男の浦上清宗(小次郎、又は与四郎とも)に娶わせようとした。しかしその婚礼の夜、赤松政秀の奇襲を受けて親子ともに戦死した。法名は実巌祐真禅定門。