海津局
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海津局(かいづのつぼね、生年不詳 - 明暦元年12月20日〔1656年1月16日〕)は、戦国時代から江戸時代初頭にかけて生きた女性。淀殿の侍女。後に崇源院及び千姫の侍女。
父は浅井亮政の養子である浅井(田屋)明政。母は浅井亮政の唯一の嫡女海津殿(鶴千代/栖松院)。鶴千代の母(饗庭局の祖母)は亮政の正室浅井蔵屋で、この女性は亮政の先代浅井直政の一人娘なので、海津局は女系ながら直政の血を引く。 妹は饗庭局(淀殿乳母及び侍女。主に武家への折衝で活躍)。
[編集] 経歴
- 大坂の陣で夫は戦死するが、海津局は秀頼夫人千姫に従って城外に逃れ、江戸に下って淀殿の妹崇源院お江与及び千姫に仕えた。
淀殿が海津局を逃がしたのは浅井家存続のための手段であったとも思われる。 またこの件で俗に言われている淀殿が千姫の脱出を拒んでいたという説は誤りであったことが分かる重要な人物である。
- 死後光源院と謚された。明暦元年(1655)12月20日に死去した。