清水園
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江戸時代、幕府茶道方の縣宗知の指南の下で造営された。近江八景を取り入れた回遊式庭園で、中央には草書体の「水」の字をかたどった池が配置されている。園内にある書院は庭園より古く、簡素な数寄屋造りの建物である。また、池の周囲には五つの茶室が点在する。2003年より国指定名勝。
[編集] 歴史
新発田藩三代藩主溝口宣直の時代、高徳寺を五十公野へ移した跡地に藩の下屋敷が造られた。付近が清水谷と呼ばれていたことから、「清水谷御殿」と称された。
四代藩主溝口重雄の時代、幕府茶道方の縣宗知を招いて庭園の造営が行われた。
1891年、沢海の大地主である伊藤文吉に買収された後、1946年より北方文化博物館の分館となり、「清水園」と名づけられた。
2003年、同じく縣宗知の指南下で造られた五十公野御茶屋庭園とともに、国の名勝に指定された。指定時の名称は「旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園および五十公野御茶屋庭園」。指定にあたっては「越後を代表する大名庭園である」と評された。
[編集] 参考文献
- 新潟県の歴史散歩編集委員会 『新潟県の歴史散歩』 山川出版社、1995年。
[編集] 外部リンク
- 北方文化博物館 「清水園・足軽長屋」
- 文化審議会答申 「史跡等の指定等について」 2003年5月16日。
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