湯田中温泉
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湯田中温泉(ゆだなかおんせん)は、長野県下高井郡山ノ内町(旧国信濃国)にある温泉。
一帯は「湯田中渋温泉郷」と呼ばれる温泉郷である。
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[編集] アクセス
[編集] 泉質
- 塩化物泉
- 硫黄泉
[編集] 温泉街
駅から夜間瀬川沿いの高台方向にみやげ物屋や飲食店などが点在し、温泉街を形成している。規模の大きなホテルや創業が古い旅館などが14軒存在する。湯田中駅には日帰り入浴施設「楓の湯」が併設している。駅前および梅翁寺前には足湯も存在する。
歓楽街温泉の雰囲気はあまり無いが、スナックなどは数軒存在する。
共同浴場は9軒存在する。大湯、綿の湯、わしの湯、千代の湯、滝の湯、白樺の湯、弥勒の湯、平和の湯、脚気の湯である。大湯以外の8軒は地元の方および宿泊客専用である。かつては広く一般に開放されていたが、マナーの悪さにより現在の形となった。一部の共同浴場は、毎月26日に一般客の入浴が可能となっている。 大湯は、日本温泉協会発行の雑誌「温泉」の第47巻「共同浴場番付」において、東の横綱に番付けられた。なお、西の横綱は道後温泉である。
[編集] 歴史
湯田中温泉の歴史は古い。原湯が浅く絶えず地面にわき出していたと考えられるところから、古くは縄文時代からすでに恩恵を受けてきたものと考えられる。^1
文献に残る開湯は1350年前(一説には1330年前)で、天智天皇(626-672)の時代、僧智由により発見され、「養遐齢(ようかれい)」と名づけた。これが、現在も同位置にある大湯である。また、智由はこのとき同時にこの温泉を鎮護するために大湯の東方に弥勒石仏を建立した。
古くは草津街道の宿場であり、また湯治場であった。松代藩の真田氏は湯田中の湯を愛し、お城にも温泉を届けさせた。小林一茶の門弟でもあった湯田中湯本は旅籠登録制度が施行されたときの第一号である。
前述通り、湯田中温泉は別名「養遐齢(ようかれい)」と呼ばれている。遐齢とは長命長寿のこと。したがってこの温泉は、長命長寿の湯であり、病を癒し、心を爽やかにして、健康で長生きできる霊験あらたかな温泉であるとの意。 薬師(梅翁寺)と弥勒石仏の二つに守られている温泉は国内でも珍しい。
^1 郷土史誌:「湯田中のあゆみ」より