満願寺城
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満願寺城遠景 | |
通称 | |
城郭構造 |
連郭式平山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
湯原信綱 |
築城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 |
湯原信綱、奈佐日本之助、毛利氏 |
廃城年 |
不明 |
遺構 |
堀 |
位置 |
満願寺城(まんがんじじょう)は島根県松江市西佐田町にあった城。
[編集] 概要
宍道湖畔の丘陵端に位置するが、戦国時代当時、城域の北側には佐田水海が広がっており、三面を水に洗われる要害であった。
毛利元就の出雲侵攻に際し、湯原氏は毛利氏に降り、満願寺に拠った湯原氏は宍道湖の制海権の把握に努めた。
元亀元年(1570年)、尼子氏残党の蜂起に加わった奈佐日本之助が一時入城したが、天正元年吉川元春に攻められ再び毛利氏に帰した。
[編集] 沿革
- 1521年(大永元年)湯原氏により築城された。
- 1562年(永禄5年)毛利氏の出雲侵攻を受けて湯原氏は毛利氏に降り、毛利氏の支配下に置かれた。
- 1570年(元亀元年)尼子氏残党奈佐日本之助に落とされる。
- 1573年(天正元年)奈佐氏が毛利氏に降り、再び毛利氏が入城した。