源満末
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源満末(みなもと・の・みつすえ)は、平安時代後期の武将。従五位下。嵯峨源氏の源融の孫の源是茂の子孫。源末行の子。
嵯峨源氏も代が重なり、源満末の代になると都での栄達の途はない中下級貴族となり、新天地を求めて地方に下ることが多くなる。満末もまた従五位下の位をもらい、仁安3年(1168年)に九州の肥前国の天皇家直轄荘園の神埼荘(鳥羽院領神埼荘)に荘官(荘園管理官)として下向。神埼の豪族である松浦党山代氏の力を背景に武士として土着。神埼は日宋貿易に着目していた平忠盛以来、平家が知行しており、満末が下向した頃は平清盛の全盛期であったこともあり満末は山代氏や他の松浦党と同じく平家の傘下に置かれる。
子の源貞宗には壱岐の賊徒追討の記録があり、孫の源久直が源平合戦の功により鎌倉幕府の鎮西御家人として筑後国三潴郡蒲池の地頭となり蒲池を氏とする。