ノート:牛乳
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[編集] 項目名の変更提案
「批判」という項目がありますが、本文を読まないと何に対するどういう批判なのかわかりません。内容は牛乳有害説の諸説と、それに対する評価で構成されておりますので、項目名は「牛乳有害説」とすることを提案します。--やまたろう 2006年8月10日 (木) 09:43 (UTC)
そのままでいと思います。牛乳有害説以外の内容も書かれていますし、仮に項目名を「牛乳有害説」としたところで「本文を読まないとわからない」点が解消されるわけではないので。--ひらりんげんぞう 2006年8月18日 (金) 12:41 (UTC)
- 議論の深まらないまま、「批判」が「安全性についての議論」に変更となりました(変更者は私ではありません)。でも、結果的に妥当な項目名となったと思いますので、支持します。--やまたろう 2006年8月26日 (土) 07:08 (UTC)
- 「批判」か「牛乳有害説」かの2択であれば「批判」のまま変える必要はないと思いましたが、「安全性についての議論」という名前であれば前の2つよりわかりやすい項目名だと思いますので、私もその項目名を支持します。--ひらりんげんぞう 2006年8月27日 (日) 00:46 (UTC)
牛乳廃棄の問題ですが、実際にそれに関わった友人によると、「牛乳は自然に左右される農産物であり、ほかの農産物と同様、過豊作になることもある。特に牛は乳を搾ってあげないと乳腺炎になるので搾らざるを得ない。そうしてできた生乳が殺菌設備のキャパシティを超えれば、捨てる以外に無い。それは防ぎようが無い」との事でした。確かにもったいないことではあると思いますが、とにかく殺菌できなければどんな用途にも(たとえば保存しておくとか、スキムミルクにして食糧危機の国に送るとかにも)使うことはできないし、だいたいその「もったいない」の結果起きたのが現在(2007年1月)世間を騒がせている不二家事件なわけで、人命に関わることでもないことをことさらに問題視する必要は無いと思いますが皆さんの意見を聞かせていただけるでしょうか。(異論が無ければこの友人のコメントを付帯意見として当該の記述に書き加えようと思いますが)--ネオ筑摩屋 松坊堂 2007年1月24日 (水) 03:44 (UTC)
- 本文中には、「殺菌できなければどんな用途にも」という趣旨での消費拡大運動が紹介されているとは読み取れません。牛乳廃棄問題に紹介されている事例はあくまで生乳としての消費拡大です。また、この場に取り上げるかどうかの基準は「人命に関わること」だけではありません。牛乳廃棄の問題は一時の突発的な事件ではなく、慢性的な消費減少と生産調整の背景を持っています。ただ、現在の記述のままでよいかという議論はあると思いますので、Wikipediaは個人の意見を述べる場ではないことを踏まえ、事実に絞った記述を行う形で追記することはかまわないと思います。--やまたろう 2007年1月27日 (土) 08:41 (UTC)
>「牛乳はよく噛(か)んで飲んだ方がいい」と言われることがあるが、その真偽は不明である。 ○○と言われるが科学的根拠はないというのは他の記事でも良く見られる書き方ですが、 わざわざ書くのであれば、 その真偽は不明であるが「牛乳はよく噛(か)んで飲んだ方がいい」と言われることがある。 こちら書き方の方が良いと思います。~~(どうやって署名するかわかりませんね,2007/1/26 21:00)—以上の署名の無いコメントは、219.111.123.157(会話/whois)氏が[2007年1月26日 (金) 12:01(UTC)]に投稿したものです(やまたろうによる付記)。
- (反対)文の最後に"--やまたろう 2007年1月27日 (土) 04:38 (UTC)"(半角のハイフン2つとチルダ4つ)を加えれば、時刻つきの署名が挿入されます。編集画面上部の右から二つ目のアイコンをクリックしても同様です。なお、「真偽が不明」と「科学的根拠はない」とは意味が異なりますので、書き換えは不適当と考えます。--やまたろう 2007年1月27日 (土) 04:38 (UTC)
- なぜ、「真偽が不明」と「科学的根拠はない」の意味が異なれば書き換えは不適当なのでしょうか?
- 日本語というのは話の主体が後に来ますので、今のままだと、"その真偽は不明である"が主体になります。
- 正確に真偽が証明されていて
- "「牛乳はよく噛(か)んで飲んだ方がいい」と言われることがあるが、それは誤りである。"
- などと書くけば意義がありますが、現在の文章からは明らかに、"「牛乳はよく噛(か)んで飲んだ方がいい」と言われることがある。"が話の主体なので、文法的に書き換えは適当と考えます
--219.111.123.157 2007年1月28日 (日) 15:20 (UTC)
- (訂正)すみません、ノート中の「科学的根拠はない」に反応してしまい、本文が「科学的根拠はない」であるものを「真偽は不明である」に変更したいという趣旨と受け取ってしまいました。本文は「真偽は不明である」のままでした。失礼しました。
- ただ、改めてこの部分を読むと、219.111.123.157さんの意向を踏まえて修正するならば、「真偽は不明である」よりも「科学的根拠はない」のほうがより正確であると考えます。具体的には、
科学的根拠はないが「牛乳はよく噛(か)んで飲んだ方が"消化に"いい」と言われることがある。乳糖をうまく分解できるように時間をかけるためとも言われている。
- といった感じです。--やまたろう 2007年1月29日 (月) 07:33 (UTC)
- これは私の受ける言葉の印象ですが、牛乳はよく噛んで飲むと良いことを、どこかで、検証(実験)の実例があ り、良いことを証明できなかったのであれば、おっしゃられるとおり「科学的根拠はない」のほうがより正確であると考えます。検証の実例があったかさえわからない場合は今のまま「真偽は不明である」のほうが自然ような気がします。
- それよりも私は"消化に"を付け加えることに大賛成です。--219.111.123.157 2007年1月29日 (月) 11:06 (UTC)
- 長文すみません。検索等で調べた情報を元に、「科学的根拠はない」及び「真偽は不明である」を用いない記述を提案します。
「牛乳はよく噛(か)んで飲んだ方が消化にいい」と言われることがある。そもそも乳糖を分解する酵素は腸液に存在し、唾液には含まれないため、噛む事で直接的に吸収率が高まるわけではない。しかし、噛む様にして飲むことで、少量ずつ消化管に送ること、また、冷たい牛乳を体温で温めることにより、消化管への負担を減らすことで、乳糖をうまく分解できるようになるとも言われている。
- 私が「科学的根拠はない」という表現を支持したのは、前段の酵素の問題が頭にあったからです。前提事実が明らかなものであれば、実験しなくても「科学的根拠はない」と言っても差し支えない(そうでないと、明らかなニセ科学でも実験しないと否定できないことになってしまう)と考えていたものです。一方、後段の部分は経験的事実として否定されるものではないと考えるので、「真偽は不明」と言わなくても良いと考えます。ご検討いただければ幸いです。--やまたろう 2007年1月31日 (水) 09:43 (UTC)
- 提案から2週間が経過しました。反対意見がないようなので、変更した記事を掲載します。--やまたろう 2007年2月15日 (木) 05:25 (UTC)