田中彰治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 彰治(たなか しょうじ、1903年6月18日 - 1975年11月28日)は日本の政治家。元衆議院議員(自由民主党・7期)。
新潟県新井市(現妙高市)出身。岩倉鉄道学校卒。戦前は樺太で農業を営んだり、九州で炭鉱を経営したりするなど職を転々としていた。1949年、衆院選に新潟4区から民主自由党公認で立候補し初当選。その後、所属政党が自由党→鳩山自由党→自由党→日本民主党と変わり、1955年の自由民主党結党に参加。河野派に所属し、政界の爆弾男の異名をとる抜群の行動力で決算委員長、自由民主党新潟県支部連合会会長などを歴任したが、1966年いわゆる黒い霧事件で失脚、自民党を離党し、9月には議員を辞職。1974年、東京地裁で有罪判決を受け、控訴中の1975年に肝硬変にて死亡。