由布惟信
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由布惟信(ゆふこれのぶ、大永7年(1527年)? - 慶長17年6月24日(1612年7月22日)は戦国時代の武将、立花氏家老、立花四天王筆頭。通称は源兵衛・八郎・孫十郎・源五兵衛尉・源五左衛門、号は雪下。由布惟巍の息子。
元々大友氏の家臣だったのだが、立花道雪に付き従う際に嫡男に家督を譲り、残りの人生を立花氏の為に尽くす。立花道雪の重臣として六十五回の合戦にも参加し一番槍、一番乗り、一番首は数知れずという武勇を誇った。感状は七十通賜ったそうである。
立花道雪の遺言で「戦場の地に甲冑着け埋葬せよ」との命に家臣共々が頭を抱えていた時に、殉死しようとする家臣を説得し無事に丁重に埋葬する事ができたそうである。立花道雪死後も養子立花宗茂を助け、関ヶ原の戦いで西軍についたため改易された主君宗茂に随従して江戸に赴いた。慶長8年(1603年)宗茂が将軍徳川秀忠に見出されて棚倉藩1万石に封じられると、江戸で将軍に近侍する宗茂に代わって藩内の行政を担当した。
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