相良前頼
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相良 前頼(さがら さきより、?- 1394年2月19日(明徳5年1月19日))は南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。相良氏の第7代当主。第6代当主・相良定頼の子。
1368年、父の隠居により家督を継いだとも、1372年の父の死により家督を継いだとも言われており、その詳細は定かではない。九州探題として今川貞世(了俊)が新たに赴任されて来ると、前頼は了俊に従って北朝方として活躍した。ところが1383年4月、突如として南朝方に寝返り、1385年には南朝の後亀山天皇より肥前守護に任じられた。その後も南朝方として行動したが、1392年に足利義満によって南北朝が合一されると、再び了俊のもとへ帰順した。
その後は薩摩の島津氏と対立したが、1394年1月19日に島津軍との戦いに敗れ、日向都城で戦死してしまった。後を相良実長が継いだ。
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