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睿宗(えいそう、662年-716年、在位:684年-690年、710年-712年)。)は、中国、唐の第5代皇帝。名は李旦、父は第3代皇帝・高宗。諡は玄真大聖大興孝皇帝。母は武則天(則天武后)。第4代皇帝・中宗の弟で、有名な唐の皇帝・玄宗の父に当たる。
[編集] 生涯
684年、兄の中宗が母の即天武后によって廃されたため、その後を受けて即位する。しかし明らかに母の傀儡であり、実権は何も無かった。そして690年、母が自ら皇帝(武則天)として即位したため、廃されてしまったのである。705年、母が死去して中宗が復位するが、710年に中宗が毒殺されたため、その後を受けて即位し、兄を殺した一派を息子の李隆基(玄宗)と協力して排除した。712年、玄宗に皇位を譲って隠退し、716年に55歳で死去した。
あまり有能とも言えず、治世晩年も息子に左右されていたという。とはいえ、権力抗争で度々皇太子が廃されたり殺害されたりしてきた唐の歴代皇帝の中で、そうした体験をせずに済んだという点では他の皇帝よりも幸福だったのかもしれない。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 永平王李憲(李成器・譲皇帝)
- 恵荘太子李撝
- 相王李隆基(玄宗)
- 恵文太子李範
- 恵宣太子李業
- 随王李隆悌
- 寿昌公主
- 安興昭懷公主
- 荊山公主
- 淮陽公主
- 代国公主(李華婉)
- 涼国公主(李華荘)
- 薛国公主
- 鄎国公主
- 金仙公主
- 玉真公主(李持盈)
- 霍国公主