福井鉄道160形電車
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福井鉄道160形電車(ふくいてつどう160がたでんしゃ)は、かつて福井鉄道に在籍していた電車である。
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[編集] 経歴
[編集] 市内線専用車両
福武電気鉄道(福井鉄道の前身)では、1933年(昭和8年)に、福武線福井新~福井駅前間が開業した。当車両はこれに伴い、軌道線専用の単行車両として日本車輌で製造された。製造当初は4両製造され、デハ20形(デハ21~24)と称していた。これらの車両は1967年(昭和22年)にモハ60形(モハ61~64)と改称された。
このうち61号は、1948年(昭和23年)の福井地震で、福井駅前にて被災した。これにより車体が全焼したものの、台車やモータが辛うじて残り、復旧工事を受けた。この出来事から、当車両は「震災電車」として、当時の歴史を語り継ぐシンボルとして親しまれてきた。
なお、これらの車両は市内線での運行を主としていたが、1967年からは鉄道線での運行も行われ、鯖浦線へも乗り入れた。
[編集] 連接化
当車両は元々路面区間用だったため車体が小さく、輸送力には難があった。そこで少しでもそれを補うため、モハ61・62が1968年(昭和43年)に自社工場にて連接車へ改造され、160形と改番された。その際、震災電車モハ61は、モハ161-2となった。なお、1971年にモハ63、1972年にモハ64が廃車となっている。
連接化以降は、鯖浦線を中心に運行し、1973年(昭和48年)には、同線のさよなら運転を務めた。
鯖浦線廃止後は福武線に復帰し、1985年にはワンマン化改造も受けたものの、連接化されたとはいえ車両が小さいため、運行は平日朝の臨時などに限られていた。それでも在籍から65年間活躍し続け、1997年9月15日に、601号導入を控えて引退した。
[編集] 引退後について
160形は福井鉄道での現役を退いたあと廃車の予定であったが、地元団体の働きかけにより保存されることになった。それぞれの車両は分離され、現在福井市と越前市に車体が保存されている。
- モハ161-2
- 震災復興のシンボルとして、福井市立美術館近くの下馬中央公園に設置されている。保存に当たって単行時代の姿に復元されたが、当時の姿とは若干異なり、連接部分の運転台は完全な形では復元されていない。
- モハ161-1
- 越前市の旧南越線村国駅跡で保存されている。こちらは単行時代の姿に復元されること無く、連接台車の位置もそのままで保存されている。
[編集] 主要諸元(1両当たり)
- 製造年:1933年
- 最大長:11000mm
- 最大幅:2750mm
- 最大高:4265mm(161-1),3930mm(161-2)
- 自重:14.7t
- 定員:75人(座席定員:24人)
- 主電動機:48.5kW×2