秋田延季
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秋田 延季(あきた のぶすえ、享保3年(1718年) - 安永2年7月6日(1773年8月23日))は、江戸時代中期から後期の大名。治季(はるすえ)ともいう。陸奥国三春藩第5代藩主で秋田家第7代。4代藩主・秋田頼季の長男。正室はなし。子は秋田倩季(次男)、秋田季高(三男)、安東季保(四男)、岩瀬氏紀(五男)、秋田季周(六男)、細川昌元(七男)、娘(京極高中正室)、娘(永井直視正室のち井戸弘雄室)。官位は従五位下、河内守。
寛保3年(1743年)、父の死により藩主に就任。寛延3年(1750年)、弟・秋田定季を養子に迎え、翌宝暦元年(1751年)に家督を譲って隠居した。安永2年(1773年)死去。
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