稲田邦植
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稲田 邦植(いなだ くにたね、1855年 - 1931年)は徳島藩の筆頭家老であり、かつ淡路島の洲本城主(現在の兵庫県洲本市)である家柄の稲田氏の15代目当主。稲田稙乗の子として1855年(安政2年)に生まれた。幼名は小八郎、通称は九郎兵衛。
明治維新後、1870年(明治3年)には新政府より北海道静内郡(現在の新ひだか町の一部)及び色丹島の開拓を命じられる。翌年の1871年(明治4年)7月の廃藩置県により、北海道全体が北海道開拓使の管轄下となったため、開拓使のもとで静内の開拓に従事した。
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