稲荷台1号古墳
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稲荷台1号古墳(いなりだいいちごうこふん)は、千葉県市原市の養老川下流域の北岸台地上に営まれた古墳群中の一古墳であり、同古墳から文字を刻んだ鉄剣が出土したことで名が知られている。
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[編集] 概要
稲荷台古墳群は、12基から成る古墳群で、大型の前方後円墳は存在しない。
銀象嵌の文字を刻んだ鉄剣を出土した1号墳は、2号墳・3号墳に続いて造営された約28メートルの円墳である。被葬者は古墳規模から小首長であり、副葬品から武人であるとみられる。また、副葬品は5世紀中から後葉のもである。「王賜銘」鉄剣は、ヤマト政権による東国の首長を直接的に支配したことを示す具体例として重要な意味を持っている。同じような例は、埼玉県行田市に存在するさきたま古墳群中の稲荷山古墳から出土した「辛亥年」鉄剣がある。
[編集] 副葬施設・副葬品
中央木棺と北木棺の二つの埋葬施設がある。二人の武人が相次いで埋葬された。
- 中央木棺から鉄剣3口、鋲留短甲(びょうどめたんこう)1、鉄族3、刀子1が出土した。
- 北木棺からは、大刀1口、鉄族1種、胡?(ころく)金具1組、その他が出土している。
- 中央棺に埋納されていた鋲留短甲の型式から5世紀中葉、北棺の胡?金具の型式から5世紀後葉と比定されている。
[編集] 銘文
(表)王賜□□敬安、(裏)此□(延)□(刀)□□□
- 詳細については、王賜鉄剣銘文を参照して下さい。
[編集] 被葬者
銘文中の「王」は倭の五王の可能性がつよく、「済」とする説がある。被葬者は、二人の武人であり、畿内のヤマト大王のもとに武人として奉仕し、その功績によって銀象嵌の銘文を持つ鉄剣を下賜されたと考えられる。
[編集] 関連項目
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