立花山城
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立花山城(たちばなやまじょう、りっかさんじょう)は、現在の福岡県新宮町、久山町、福岡市東区にまたがる標高367mの立花山山頂にあった城郭。「立花城(たちばなじょう、りっかじょう)」と呼称される場合もある。
[編集] 概要
元徳2年1330年に豊後国守護の大友貞宗次男大友貞載が築きこの地に拠ったことにより立花氏を称するようにもなった。港町博多を見下ろす非常に重要な拠点であり、戦国時代には大内氏や毛利氏と大友氏の激闘地であった。戦国末期には立花宗茂がこの城に篭もり、島津氏の侵攻に徹底抗戦した。
豊臣秀吉の九州征伐により立花氏は筑後国柳川城へと移封となり、新たな城主として小早川隆景が入城すると、堅固な守るための山城である立花山城は存在意義を失い、名島城築城後は支城に、その後黒田長政が1601年に福岡城を築いた後は廃城となってしまった。
なお福岡城の石垣は主に立花山城から石垣を移築して作られた。現在は山頂の本丸跡にわずかに石垣跡、そして古井戸跡が残るのみである。