第二尚氏
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第二尚氏(だいにしょうし)は尚円王を始祖とし、尚円王即位の1469年(成化6年)から1879年(光緒5年)までの410年間、沖縄の琉球王国を統治した王家およびその姓の通称。正式には尚氏だが、第一尚氏と区別するため、一般には第二尚氏と呼ばれる。第二尚氏は、初代・尚円王から最後の尚泰王まで、19代続いた。
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[編集] 歴史
尚泰久王の重臣であった金丸が尚徳王にかわって王位に就き、尚円王と名乗ったことから始まる。3代尚真王のときに、地方の按司らを首里に集居せしめて中央集権化を図るとともに、叛乱を防ぐ為に琉球版刀狩りなどを実施して、王朝の全盛期を迎えた。7代尚寧王の時に薩摩藩の島津氏に侵攻され、以後の琉球は薩摩藩の統治下に入り、両属関係となった。その後、向象賢・羽地王子朝秀や蔡温・具志頭親方文若を抜擢して、多くの改革を行った。第19代尚泰王のときに琉球処分が行われ、琉球王国は滅亡した。尚泰はその後侯爵に叙せられた。分家も男爵に叙せられた。
[編集] 尚氏と向氏
称号 | 品位 | 姓(氏) |
国王 | 無品 | 尚 |
王子 | 無品 | 尚 |
按司 | 無品 | 向 |
親方 | 正一~従二品 | 向 |
親雲上 | 正三品以下 | 向 |
第二尚氏王統下では、尚氏は、王族のうち、国王および王子までの姓である。按司以下の王の親族は、尚の欠画である向氏(しょうし)を賜った。例えば、尚穆王の三男は、尚周・義村王子朝宜と尚氏だが、その息子は向成顕・義村按司朝睦というように、二世からは向氏を名乗ることになる。
また、功績のある按司は、王子号とともに尚氏を賜ることがあった。例えば、朝睦の後を継いだ弟の尚天保・義村王子朝顕は、外交上の功績があったので、尚氏と王子号を賜っている。琉球では王子号は位階の一つであり、王の子のみに与えられる称号ではなかった。詳しくは、琉球の位階を参照のこと。
このように、向氏は王家血統の証であり、琉球では翁氏、馬氏、毛氏池城、毛氏豊見城とともに、五大名門の筆頭として、一族は王府要職に就くことが多かった。
[編集] 参考文献
- 喜舎場一隆『琉球・尚氏のすべて』(新人物往来社、2000年) ISBN 4404028687
[編集] 関連項目
琉球国王(一覧) | ||||||||||||||||||
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舜天王統 | 舜天 - 舜馬順煕 - 義本 | 英祖王統 | 英祖 - 大成 - 英慈 - 玉城 - 西威 | |||||||||||||||
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第一尚氏王統 | 尚思紹王 - 尚巴志王 - 尚忠王 - 尚思達王 - 尚金福王 - 尚泰久王 - 尚徳王 | |||||||||||||||||
第二尚氏王統 | 尚円王 - 尚宣威王 - 尚真王 - 尚清王 - 尚元王 - 尚永王 - 尚寧王 - 尚豊王 - 尚賢王 - 尚質王 - 尚貞王 - 尚益王 - 尚敬王 - 尚穆王 - 尚温王 - 尚成王 - 尚灝王 - 尚育王 - 尚泰王 |