第1混成群
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第1混成群(だいいちこんせいぐん)は、沖縄県那覇市の那覇駐屯地に駐屯する陸上自衛隊の部隊である。第1混成群は、第1混成団の隷下部隊である。警備担任区域は主に沖縄県である。
目次 |
[編集] 成立過程
沖縄復帰後の沖縄県を担任する部隊のひとつとして北熊本を中心に・高遊原・目達原等の駐屯地に部隊が間借りする形で臨時第1混成群として編成された。復帰から5ヶ月たった昭和47年10月に那覇駐屯地へ移駐、第6高射特科群が沖縄へ移駐し第1混成団が編成されるまでの間沖縄の陸上防衛の主力を担った。昭和48年10月に第1混成団が編成されると後方支援隊など一部の部隊が団直轄となり、残余の部隊は第1混成群として第1混成団隷下の部隊となった。
[編集] 妨害活動
歴史的経緯より自衛隊への感情があまりよくない沖縄へ移駐するに当たって、公団住宅への入居拒否、成人式への参加拒否、住民登録拒否など公私・合法非合法問わずさまざまな妨害活動や抗議活動があった。昭和47年10月6日には移駐第一陣、わずか100名の隊員しかいない那覇駐屯地を約8,000人のデモ隊が取り囲んだ。
一方で、初代第1混成群長で沖縄出身の桑江良逢は著書の中で下記の理由からこれらの抗議や妨害の根幹は単なる(活動家の身内に対する)パフォーマンスや自衛隊という存在に対する知識の無さによるものではなかったのではないかと感じたとしている。
- 移駐第一陣の抗議活動において自衛隊の通らない民間用出口でのみ抗議活動をしていた。(駐屯地に入ってしまえば余計に追い出しにくくなるのに)
- 駐屯地に抗議団が来たので面会に行くと抗議文を読み上げたらすぐ帰ろうとしてしまう。
- 新聞記者を同行したとき、抗議団の人数が多い時は同行していないときに比べて態度が強硬になる。
- 複数団体の抗議団が来た時、桑江が一人で面会するので抗議団にも一名代表を出すように促しても拒否される。
- 抗議割当表なるものが存在し、各団体に日時が割り当てられているがだんだん来なくなった。同級生には今度行く予定だがもう行ったことにしとくといわれた。
- タクシーの運転手は当初駐屯地営門への運輸を拒否することは無かったが、営門内へ入ることを極度に嫌がった。これは1年程度で解消された。(復帰前の米軍基地のように駐屯地内が治外法権というイメージ)
- タクシー運転手同様、自衛隊側の説明にもかかわらず自治体の職員も調査や指導はできないと信じ込んでいたが数ヶ月でイメージが刷新され正常に行なえるようになった。なお、住民登録拒否の中にあっても義務教育、免許の更新などはおおむね問題なく実施できた。
- デモのシュプレヒコールが当初『日本軍帰れ』だったのが昭和48年ごろから『自衛隊帰れ』に変わった。
[編集] 部隊
- 群本部
- 本部管理中隊
- 第301普通科中隊
- 第302普通科中隊
- 第301重迫撃砲中隊
- 第301施設中隊
[編集] 混成群長
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
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臨時第1混成群長 | ||||||
初代 | 桑江良逢 | 1972.3.1 - 1973.3.26 | 防衛大学校訓練部訓練課長 →1971.7.16西部方面総監部付(編成要員) |
臨時第1混成団準備本部副本部長 | 1972.10.5那覇分とん地司令兼務 1972.10.11那覇駐とん地司令兼務 |
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第2代 | 永谷清矣 | 1973.3.27 - 1973.10.15 | 西部方面総監部第2部 →1973.3.16西部方面総監部付(那覇) |
第1混成群長 | ||
第1混成群長 | ||||||
初代 | 永谷清矣 | 1973.10.16 - 1973.3.16 | 臨時第1混成群長 | 第41普通科連隊長 | ||
第2代 | 定榮洲弘 | 1975.3.17 - 1977.3.15 | 北部方面総監部第3部 | 陸上幕僚監部第4部後方計画班長 | ||
第3代 | 奥山丈夫 | 1977.3.16 - 1978.7.31 | 幹部学校付 | 陸上幕僚監部教育訓練部教育課企画班長 | ||
第4代 | 乃美幸一郎 | 1978.8.1 - 1980.3.16 | 防衛大学校教授 | 陸上幕僚監部教育訓練部教育課教育班長 | ||
第5代 | 前原輝男 | 1980.3.17 - 1982.6.30 | 幹部学校学校教官 | 中部方面総監部調査部長 | ||
第6代 | 富田弘 | 1982.7.1 - 1984.6.30 | 第10師団司令部第1部長 | 陸上幕僚監部人事部募集課総括班長 | ||
第7代 | 佐藤得 | 1984.7.1 - 1986.7.31 | 武器学校学校教官 | 富士学校学校教官 | ||
第8代 | 山下健 | 1986.8.1 - 1988.7.6 | 調査学校学校教官 | 東北方面総監部調査部長 | ||
第9代 | 大野十覇 | 1988.7.7 - | 富士学校研究員 | |||
第16代 | 田中康博 | - 2006.3.31 | 防大教授 | |||
第17代 | 末安雅之 | 2006.4.1 - | →第1混成団本部付 |
[編集] 主要装備
- 73式小型トラック
- 73式中型トラック
- 73式大型トラック
- 64式7.62mm小銃
- 62式7.62mm機関銃
- 84mm無反動砲
- 89mmロケット発射筒 M20改4型
- 64式81mm迫撃砲
- 107mm迫撃砲
[編集] 参考文献
- 陸上自衛隊第1混成団『25年のあゆみ』平成9年5月15日
- 桑江良逢『幾山河』原書房 1982年5月15日