米原潜当て逃げ事件
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米原潜当て逃げ事件(あめりかげんせんあてにげじけん)とは1981年(昭和56年)に発生した日本船籍の貨物船に対する当て逃げ事件である。
本事件で被害を受けた貨物船は愛媛県の海運会社が所有していたが、後年に起きた同様な事件(えひめ丸事件、2001年)における被害船も、偶然にも愛媛県にゆかりのある船(県立高校の実習船)であった。
[編集] 事件の概要
1981年4月9日、鹿児島県沖の東シナ海に浮かぶ下甑島付近を航行していた日本の貨物船日昇丸(2350t)にアメリカ海軍所属のジョージ・ワシントン級原子力潜水艦ジョージ・ワシントン(USS George Washinton SSBN-598、現在同名の原子力空母ジョージ・ワシントンが就役中)が衝突し日昇丸は沈没した。しかし原潜側は弾道ミサイル搭載潜水艦であることを秘匿するため、日昇丸乗組員の救助をせず、現場を立ち去った。この「あて逃げ」の結果、日昇丸の乗組員から船長ら2名の死亡者がでた。
[編集] 事件に対する疑惑
アメリカ側は事故発生後1日後に通報するなど不誠実な対応をしたが最終的には過失を認め、8月31日には日本政府に最終的な事故報告書を提出した。その背景にはエドウィン・O・ライシャワー元駐日大使による核を積載した艦艇の日本寄港を証言しており日米安全保障問題が微妙な時期であり、非核三原則を国是とする日本国民の核問題に対する感情を配慮して、事件の解決を急いだ事情があった。
しかし事故直後の状況などについては乗組員との証言と相違がある。また、船長らの遺体は事故から13日後に発見されたが、死体の状態からすると、死亡後2~3日ぐらいしか経っていないかのような状態であるとの指摘もあった。そもそも、どうして衝突してしまったかという事件の真相に対する全面解明は、冷戦下における核戦略等の軍事機密の壁に阻まれて、現在も実現していない。