紫香楽宮跡
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紫香楽宮跡(しがらきぐうし、しがらきのみやあと)とは、滋賀県甲賀市信楽町黄瀬に在る史跡。
聖武天皇が天平17年(西暦745年)に遷都した紫香楽宮(しがらきのみや)の跡に比定され、大正15年(1926年)に史跡に指定された。しかし、現在では護国寺である「甲賀寺」の跡と推測され、実際には同町宮町で紫香楽宮の跡(宮町遺跡)が発掘されている。
また、民話では、勅旨にも都があったという話もある。
尚、この史跡より、都が平城京に戻った原因の一つである火事で消失した寺の瓦が出土しており、これが、信楽焼のルーツになったと云う説もある。
また、その寺にはもともと大仏が建つ予定だったので、大仏に使用する銅を供給するための施設の遺跡(鍛冶屋敷遺跡)が有る。また、この遺跡は、紫香楽宮跡の近くにある。またこの他に、遺跡周辺で、当時作られた信楽製のるつぼが多数見つかっている。このるつぼは、銅を混ぜた合金を作るのに使われたといわれている。
また、東海自然歩道がこの史跡を縦断しており、東海自然歩道の観光史跡の一つとして挙げられている。
「しがらきぐうし」であれば「紫香楽宮阯」と書くべきだが、紫香楽宮跡で「しがらきぐうし」と読むことになっている。
信楽高原鐵道信楽線に紫香楽宮跡駅がある。 また、散策路入り口には信楽高原バスの宮跡というバス停が在る。
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