信楽高原鐵道信楽線
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信楽線(しがらきせん)は、滋賀県甲賀市の貴生川駅から信楽駅までを結ぶ信楽高原鐵道の鉄道路線。
信楽焼の産地である信楽に通ずる、旧国鉄の特定地方交通線を転換した路線である。
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[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):信楽高原鐵道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):14.7km
- 軌間:1067mm
- 駅数:6駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:スタフ閉塞式(以前は特殊自動閉塞式だったが、1991年の事故以降、スタフ閉塞に戻している)
路線は、貴生川駅を出るとすぐにカーブし、田畑の間を抜けていく。その後、山間部に入り、急カーブの連続で、かなりの高低差を登る。小野谷信号場(休止中)跡を過ぎてしばらくすると平地になる。
信楽線のうち、約半分の長さが貴生川駅と紫香楽宮跡駅の間の勾配の部分である。
[編集] 運行形態
全て線内折り返し列車でワンマン運転を行っている。なお、1991年の事故以来、他線との直通運転は行っていない。
1時間~1時間半に1本程度の運行。
[編集] 歴史
- 1933年(昭和8年)5月8日 国鉄信楽線として貴生川~信楽間が開業。
- 1943年(昭和18年)10月1日 不要不急線として休止。
- 1947年(昭和22年)7月25日 運行再開。
- 1962年(昭和37年)10月1日 旅客列車を気動車化。
- 1981年(昭和56年)9月18日 信楽線貴生川~信楽間廃止承認(特定地方交通線第1次廃止対象)
- 1982年(昭和57年)10月10日 貨物営業廃止。
- 1986年(昭和61年)9月5日 第三セクター鉄道への転換を決定。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継。
- 1987年(昭和62年)7月13日 信楽高原鐵道に移管。紫香楽宮跡駅、玉桂寺前駅開業。
- 1991年(平成3年)3月16日 特殊自動閉塞化。貴生川~紫香楽宮跡間に小野谷信号場開設。
- 1991年(平成3年)5月14日 貴生川~紫香楽宮跡間の小野谷信号場付近でJR西日本の臨時快速列車との衝突事故(信楽高原鐵道列車衝突事故)が起き、42名が死亡。全線運休に。
- 1991年(平成3年)12月8日 運行再開。スタフ閉塞化。
[編集] 延伸計画
本路線は、改正鉄道敷設法別表第76号に掲げる「滋賀県貴生川ヨリ京都府加茂ニ至ル鉄道」の一部として計画されていたが、信楽~加茂間は建設されず、代わって2002年までJRバス近城線が信楽駅~加茂駅間に運行されていた。
現在、近江鉄道本線と信楽高原鐵道信楽線を改良した上で、信楽駅から片町線(学研都市線)までの新線を建設する「びわこ京阪奈線」(仮称)の構想がある。滋賀県及び関係自治体により、建設期成同盟会が結成されている。
[編集] 駅一覧
貴生川駅 - (小野谷信号場) - *紫香楽宮跡駅 - 雲井駅 - 勅旨駅 - *玉桂寺前駅 - 信楽駅
- *印は転換時に設置された新駅