織田長明
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織田 長明(おだ ながあき、万治3年(1660年) - 元禄12年7月10日(1699年8月5日))は、大和戒重藩の第3代藩主。第2代藩主・織田長定の長男。通称は主殿。
寛文12年(1672年)8月6日、父の死去により家督を相続する。しかし、病弱だったようであり、若年での隠居を余儀なくされた。延宝9年(1681年)3月19日、幕府に宇陀松山藩主織田長頼の三男長清との養子縁組を願い出る。なお、養子候補者としては、その他に旗本の織田貞則、織田貞輝、大名の織田成純もあげられていた。年齢的な問題から織田長清に決まったようである。
延宝9年(1681年)7月10日将軍徳川綱吉に御目見をする。天和3年(1683年)5月2日、隠居し、養嗣子の織田長清に家督を譲った。元禄6年(1693年)11月4日、幕府から戒重に移住する許可を得る。元禄12年(1699年)7月10日、戒重にて死去した。享年40。墓所は奈良県桜井市芝の慶田寺。
正室、子女ともにいない。
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