羽川豊
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羽川 豊(はがわ ゆたか, 1957年12月8日 - )は、栃木県出身のプロゴルファーである。日本では数少ないレフティ(左打ち)のゴルファーである、最終学歴は専修大学卒業。
専修大学在学中に全日本大学学生リーグで優勝し、主将としてチームを率いた。1980年にプロテスト合格。翌81年には日本最高峰・日本のトップ大会である日本オープンで優勝。日本シリーズも制し、同年代である湯原信光や倉本昌弘と共に「ニューウェーブ三羽烏」と称された。翌1982年には前年の日本での活躍から、マスターズに招待される。ここでも15位と健闘し、アメリカの選手や関係者から「現役では最高のレフティだ」と絶賛された。日本では「世界のレフティ」と呼ばれた。
だが、1984年にはシード権を喪失し、俗に言われる「イップス」にも悩まされるなどスランプに陥る。スランプは長く続き、1988年に現状を打破しようとジャンボ尾崎率いる「ジャンボ軍団」に加入した。ジャンボからは「4年悪かったんだから、4年かけて元に戻そう」と声をかけられ、スタミナ不足を解消するべく練習に励む。同年、シード権を取り返し、1991年には8年ぶりに優勝した。
その後も積極的なプロゴルフ活動をしていたが、1998年からは“クラブ”を“マイク”に持ち替え、ゴルフ中継解説者として活躍。主にテレビ朝日のメジャー大会でのコースレポーター(全英オープンゴルフ、全米オープンゴルフ。かつては大町昭義プロと二人で担当していた)や、NHK、WOWOWなどで解説をしている。また、かつてはテレビ東京でゴルフ番組を担当していたこともある。また、都内で会員制のゴルフ教室「羽川豊ゴルフサロン」を主宰するなど、精力的に活動しているが、本人は「50歳になったらシニアトーナメントに出るよ」と語っているなど、現場復帰への意欲も見せている。