花鳥諷詠
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花鳥諷詠(かちょうふうえい)は、高浜虚子の俳句理論を代表する根本理念である。
「花鳥諷詠」は高浜虚子の造語で、1927年に提唱された [1]。「花鳥」は季題の花鳥風月のこと。「諷詠」は調子を整えて詠う意味。
花鳥風月といえば、通常は自然諷詠の意味になるが、虚子によれば「春夏秋冬四時の移り変りに依って起る自然界の現象、並にそれに伴ふ人事界の現象を諷詠するの謂(いい)であります」(『虚子句集』)と人事も含めている。この「花鳥諷詠」は「ホトトギス」(俳誌)の理念であるが、それまで主張していた「客観写生」との関係は必ずしも明らかではない。虚子は終生この主張を繰り返し、変えることはなかったが、理論的な展開は示さなかった。
虚子の後継者である稲畑汀子は「虚子が人事界の現象をも花鳥(自然)に含めたことは重要であるが、その事は案外知られていない。それは人間もまた造化の一つであるという日本の伝統的な思想、詩歌の伝統に基づくものであった。アンチ花鳥諷詠論の多くは、この点を理解せず、自然と人間、主観と客観などの二項対立的な西洋形而上学に基づいているため、主張が噛み合っていないように思われる」(「俳文学大辞典」)という。
しかし正岡子規から虚子に引き継がれた写生あるいは「客観写生」を肯定する俳人も「花鳥諷詠」には批判的な立場を取るものが多い。
つまり「花鳥諷詠」は「ホトトギス」派と、その一統の日本伝統俳句協会にしか通用しない理念である。
虚子自身「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」(1954年)の句を残しているように、花鳥諷詠は「お題目」と考えればわかりやすい。 大野林火は「虚子の自然(花鳥)傾倒は虚子の悟道でもあった。」(『現代俳句大辞典』明治書院)という。
「秋風や花鳥諷詠人老いず」(久保田万太郎)、「朴落葉大地に花鳥諷詠詩」(稲畑汀子)は花鳥諷詠の讃歌。 「はぐれたる花鳥諷詠のほとゝぎす」(加藤郁乎)、「誰が為に花鳥諷詠時鳥」(京極杞陽)は批判とも考えられる。
[編集] 参考文献と注釈
[編集] 参考文献
- 高浜虚子『俳句への道』岩波新書、1955年。
- 高浜虚子『虚子俳話』東都書房、1958年。
- 松井利彦「花鳥諷詠論に関する一考察―成立を中心として―」1956年12月「国語と国文学」第33巻12号。
- 田中俊一「花鳥諷詠の理念」1959年12月「日本文芸研究」第11巻4号。
- 松井利彦「新興俳句と花鳥諷詠論」1964年9月「論究日本文学」23号。
- 清崎敏郎「花鳥諷詠以前・以後」1979年4月「俳句」第28巻4号。
- 清崎敏郎「花鳥諷詠」1984年11月「文学」第52巻11号。
- 畠山譲二・土生重次・能村研三「〈対談〉俳句の時代を読む(7)花鳥諷詠の歴史と現在」1987年7月「俳句」第36巻7号。
- 本井英「虚子、その「宇宙観・死生観」と「花鳥諷詠」」2001年7月「国文学」第46巻8号。