苫小牧東部開発計画
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苫小牧東部開発計画(とまこまいとうぶかいはつけいかく)とは、1960年代に北海道苫小牧市を中心に工業地帯の創設を目指した国家プロジェクトである。略称、苫東(とまとう)。
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[編集] 概略
鉄鋼業や石油精製など、本州では用地の確保が困難となりつつあった重厚長大産業の基地として期待されたが、石油ショック以後は重厚長大産業が斜陽化し、進出してくる企業は多くの大面積の用地を要しない会社がほとんどとなり、開発は事実上失敗に終わった。計画の失敗が明白になった以降も続行され、雪だるま式に借入金が膨らんだ経緯から、典型的なお役所仕事として批判を浴びることがある。
[編集] 歴史
- 1969年 新全国総合開発計画決定により計画が具体化
- 1971年 苫小牧東部大規模工業基地開発基本計画が策定
- 1972年 工業用地の造成・分譲などを行う苫小牧東部開発株式会社が設立
- 1983年 北海道石油共同備蓄基地(石油備蓄基地)の完成
- 1990年 北海道石油共同備蓄基地に隣接して苫小牧東部国家石油備蓄基地が完成
- 1996年 苫小牧東部開発新計画を策定。計画の仕切直しが進む。
- 1999年 債務超過で破綻した苫小牧東部開発株式会社を救済する北東公庫の新会社への出資を閣議了解
- 2000年 苫小牧東部開発株式会社の後継会社、株式会社苫東が設立
[編集] 苫小牧東部開発株式会社
北海道東北開発公庫、地方自治体(北海道及び苫小牧市ほか)、民間金融機関、民間企業等が出資した第三セクター。当初こそ、出資企業等を中心に工業団地の分譲が進んだが、オイルショックで重厚長大産業で斜陽化。進出企業が激減する中で、たちまち膨大な開発・造成費用の返済と借入金利払いがままならない状態となった。最終的に、当初開発予定面積の10,000haのうち分譲できたのは1割弱の約800ha、借入金は1997年時点で約1,800億円に達していた。
[編集] 近年の進出事例
開発事業自体は失敗に終わったが、既存の進出企業の生産は続けられ地域経済の活発に繋がっているほか、新たに進出する企業も見られる。2007年から工場を稼働させるアイシン精機(トヨタ自動車系の主にオートマチックトランスミッションを製造する会社)は、近隣で産出する天然ガスを利用したコジェネレーションシステムを構築するとしており、苫東地域の新たなメリットとして注目を浴びている。