菊池康郎
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菊池康郎(きくちやすろう、1929年8月20日-)は、アマチュアの囲碁棋士。東京都出身。世界アマチュア囲碁選手権戦優勝、全日本アマチュア本因坊戦等国内アマ大会優勝20数回を数え、アマ四強と呼ばれた一人。緑星囲碁学園を主宰し、山下敬吾を始め、多数のプロ・アマ棋士を育成している。国際囲碁交流にも尽力、緑星囲碁学園代表、国際囲碁友好会理事長、全国子ども囲碁普及会代表。
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[編集] 経歴
3歳で囲碁を覚える。専修大学に入学し、関東大学囲碁リーグ戦出場のために囲碁部を作る。この1951年の第1回リーグ戦では最終戦で村上文祥を破り11連勝で個人優勝するなど、学生碁界で活躍。1951-52年の「圍碁」誌でのプロアマ二子局で、トッププロを相手に10連勝。卒業後は八幡製鉄(現新日鉄)に入社。1957年にアマチュア本因坊戦に優勝し、以後3連覇、計13回優勝の他、アマ十傑戦、世界アマ日本代表など多数の優勝を飾る。平田博則、村上文祥、原田実と並んでアマ四強と称されて、長くアマチュア囲碁界最強の地位を占め、プロからもプロ六、七段は打てると評されている。1992年には世界アマチュア囲碁選手権戦優勝。2003年の阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦予選では予選Cを勝ち抜き、予選Bでは柳時熏七段も破った。棋風は柔軟性に富み、創造性豊かな序盤も特長。
1975年にアマチュアの研究会「緑星会」を設立。1979年にこれを発展させて、子供のための囲碁教室「緑青囲碁学園」を設立。多くの有望な子供を育成。出身のプロ棋士も、村松竜一を第1号として、青木紳一、青木喜久代、山下敬吾、加藤充、秋山次郎、溝上知親、鶴丸敬一、高野英樹など多数。また1998年から「東日本子供囲碁大会」を企画、開催し、その後「ボンドカップ全日本こども大会」へと発展した。
日中囲碁交流において、1961年を始めとして訪中団に加わる。その後も若手棋士を率いて、中国、韓国との交流を積極的に行っている。
社交ダンスで全国大会十傑に入った経歴も持つ。
[編集] 主な棋歴
- 世界アマチュア囲碁選手権戦 優勝 1992年、2位 1986年、3位 1985、2002年
- 世界アマチュア選手権戦日本代表決定戦 優勝 1984、85、91、2001、04年
- 全日本アマチュア本因坊戦 優勝 1957-59、62、65-66、69、72-73、77、82-84
- 朝日アマ囲碁十傑戦 優勝 1968、77、80-81、87、91、97-98、2000年
[編集] 著作
- 『アマ四強はこうして強くなった』誠文堂新光社 1967年
- 『菊池康郎打碁集』誠文堂新光社 1979年
- 『囲碁に強くなる本 上達への秘密作戦』金園社 1980年
- 『囲碁の初歩の初歩 これで碁が打てる 』金園社 1980年
- 『緑星学園—囲碁を通じて人間育成 夢とおどろき』フローラル出版 2002年
[編集] 参考文献
- 『アマ・プロ決戦 ザ・二子局』誠文堂新光社 2002年(「圍碁」誌での大平修三との打込み六番碁を収録)