新日本製鐵
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
略称 | 新日鉄、NSC |
本社所在地 | 東京都千代田区大手町二丁目6番3号 |
設立 | 1950年4月1日 |
業種 | 鉄鋼 |
事業内容 | 製鉄、電力、エンジニアリング(新日鉄エンジニアリング株式会社)、化学(新日鐵化学株式会社、都市開発(株式会社新日鉄都市開発 |
売上高 | 単体: 2兆5,914億円(2006年3月期 連結: 3兆9,063億円(2006年3月期) |
関係する人物 | 平生釟三郎、稲山嘉寛、藤井丙午、永野重雄、斎藤英四郎、今井敬、三村明夫、藤井孝男 |
外部リンク | www.nsc.co.jp/ |
新日本製鐵株式會社(しんにっぽんせいてつ、Nippon Steel Corporation)、略称「新日鉄」あるいは「NSC」は、日本の鉄鋼メーカーである。“鉄”という漢字は偏と旁を分けると「金を失う」とも読めるため、他の鉄鋼メーカーとは違い、あえて旧字体の“鐵”(これは「鐵は金の王なる哉」と読める)を商号に使用している。
目次 |
[編集] 企業概要
官営八幡製鐵所が母体となり、「製鐵大合同」により日本製鐵株式會社として設立された。太平洋戦争敗戦後の「過度経済力集中排除法」により数社に分割されるが、のち再合併して新日本製鐵株式會社となり現在に至る。この再合併に際しては、あまりにも業界内で大きな企業が出現することとなるとして、是非について経済界で大きな議論を巻き起こした。
日本における粗鋼生産量のシェアは3割以上の3,000万トン以上を占め、業界首位。世界シェアでもアルセロール・ミッタルに次ぐ第2位である。高級鋼材などの技術水準の高さには定評があり、業界を代表する鉄鋼メーカーである。
川崎製鉄と日本鋼管(NKK)の合併によるJFEグループの誕生により、日本での粗鋼生産シェアはJFEスチールと拮抗するに到るが、一方で住友金属や神戸製鋼と株式の持ち合いを進めるなど、緩やかなグループ形成をしており、日本の鉄鋼業界は新日本製鐵とJFEスチールの2系統にまとまったといえるだろう。
現在は製鉄事業で培った企業力をもとに、エンジニアリング事業(2006年7月より新日鉄エンジニアリング株式会社に分社)、システムソリューション事業、新素材事業、シリコンウェーハ事業(2006年7月より新日鉄マテリアルズ株式会社に分社)、化学事業、電力事業なども行っている(シリコンウェーハ事業からは、2003年末で撤退)。
新日鉄は、最近まで北朝鮮から無煙炭を輸入していたことがあった。無煙炭は、製鉄所において高炉用の燃料コークス製造時の添加剤として使われるもので、新日鉄はかつて製鉄所を持っていた北朝鮮(戦前に金策、清津等に製鉄所を構えていた)から輸入していた。しかし、北朝鮮による度重なる核開発や、2006年に実施したミサイル発射実験、ならびに核保有宣言、そして核実験の実施を仄めかすことを、国際的にかつ、公式に明らかにしたことから、同年、日本政府による経済制裁の実施に伴い、無煙炭の輸入を停止した。
[編集] 生産拠点
工場は主力の君津(千葉県君津市)、名古屋(愛知県東海市)、大分(大分県大分市)を始め、自動車、電機製品向けの電磁鋼板など、特殊鋼を中心とする広畑(兵庫県姫路市)と八幡(福岡県北九州市)、H型鋼などの建材を中心とする堺(大阪府堺市)、主に自動車部品などに加工される棒鋼を中心とする室蘭(北海道室蘭市)、ケーブル、スチールコードなど線材を中心とする釜石(岩手県釜石市)、鋼管を中心とする東京(東京都板橋区)、ステンレスを中心とする光(山口県光市)があり、従来のスタイルであった粗鋼からの一貫生産から、部門特化による分業制にシフトしている。なお、この傾向は他の製鉄会社にも見られるが、最も顕著なのが、元から生産拠点を多く抱えていた新日鐵である。
[編集] 経営
代表取締役社長は三村明夫。2005年当初までは、日本経済団体連合会の副会長を前代表取締役会長の故・千速晃が務めていたが、2005年5月26日の定時総会において満期退任し、代わりに三村明夫が副会長に就任した。三村は同団体の中国委員会委員長も務めている。
鉄鋼業界の業界団体である日本鉄鋼連盟の会長職は1948年の発足以来、慣行として新日鐵社長が務めていたが、2006年5月に三村明夫会長からJFEスチールの馬田一社長へ会長職をバトンタッチ。今後、両社が2年おきの輪番で会長を務める。
[編集] 沿革
- 1895年(明治28年) - 製鐵事業調査会設置
- 1896年(明治29年) - 官営製鐵所案が第9議会を通過し、「製鐵所官制」を発布(農商務省所管)
- 1901年(明治34年)2月5日 - 「製鐵所」が操業開始。 東田高炉作業開始式 (高炉に火が入る)
- 1925年(大正14年) - 商工省所管。
- 1933年(昭和8年) - 日本製鐵株式会社法
- 1934年(昭和9年)1月29日 - 官民企業が合同して(製鐵大合同)、日本製鐵株式會社創立
- 1947年(昭和22年) - 「過度経済力集中排除法」公布
- 1950年(昭和25年) - 「過度経済力集中排除法」により解体され、八幡製鐵株式會社・富士製鐵株式會社・日鐵汽船株式會社(現・新和海運株式会社)・播磨耐火煉瓦株式會社(現・黒崎播磨株式会社)に分かれる
- 1970年(昭和45年) - 八幡製鐵株式会社と富士製鐵株式会社とが合併し、新日本製鐵株式會社となる
- 2002年(平成14年) - 住友金属工業、神戸製鋼所と3社間で資本・業務提携
[編集] 歴代社長・会長
社長 / 会長
- 稲山嘉寛 / 永野重雄(1970-73年)
- 平井富三郎 / 稲山嘉寛(73-76年)
- 田坂輝敬 / 稲山嘉寛(76-77年)
- 斎藤英四郎 / 稲山嘉寛(77-81年)
- 武田豊 / 斎藤英四郎(81-87年)
- 齋藤裕 / 武田豊(87-89年)
- 齋藤裕 / 三鬼彰(89-93年)
- 今井敬 / 齋藤裕(93-98年)
- 千速晃 / 今井敬(98-2003年)
- 三村明夫 / 会長・千速晃(03年-)
[編集] スポーツ事業
- 社会人野球
- 室蘭シャークス(元新日本製鐵室蘭)([1]公式HP)
- 市民球団かずさマジック(元新日本製鐵君津)
- 硬式野球クラブ東海REX(元新日本製鐵名古屋)
- 新日鐵広畑硬式野球部
- 光シーガルズ(元新日本製鐵光)
- 社会人サッカー
- バレーボール
- 堺ブレイザーズ(元新日本製鐵堺)
- ラグビー
- 釜石シーウェイブス(元新日本製鐵釜石)
上記の他、過去八幡製鉄時代には、メキシコオリンピック銀メダリストの君原健二を輩出した陸上部や、天皇杯全日本サッカー選手権大会で優勝経験のあるサッカー部などがあった。
[編集] その他
現在でも商品である鋼板などに入っているマークの中に、丸にSが組み合わさったマークが使われているものがある。この関係で、新日本製鐵の鋼板を「マルエス」と呼ぶことがある(八幡製鐵時代の社章が「マルエス」印で、冨士製鐵の社章は「フジエス」印であった。新日本製鐵の社章は、合併した2社の社章を1つに組み合わせたものである)。
小説「大地の子」に登場する東洋製鉄のモデル企業でもある。NHKで放映されたテレビ版では本社社屋はもとより君津製鐵所がロケ地となったが、製鉄所入り口の看板は東洋製鉄木更津製鉄所と書き換えられた。実際に新日本製鐵は、中国最大の鉄鋼メーカーである宝鋼集団への技術供与などを行っており、その関係は現在も続いている。
[編集] 関連企業
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他各社。
また、グループ会社ではないが中山製鋼所へ社長を送り込んだ経歴があり、技術提供によって操業を始めた韓国のPOSCO(旧:浦項総合製鉄)、並びに中国の宝鋼集団との関係も強い。また、欧州最大の鉄鋼メーカーであるアルセロールとも提携(アライアンス)を結んでいる(なお、アルセロールとの提携はミタルスチールとの合併後も維持されることが合併後のトップ会談にて確認されている)。06年にはブラジルの鉄鋼大手、ウジミナスへ出資し、持分法適用会社とした。
[編集] 在籍した著名人
- 代議士・学者等
- 海野三朗 - 衆議院議員(故人)
- 新井将敬 - 大蔵官僚、衆議院議員(故人)
- 原田義昭 - 通産官僚、衆議院議員
- 粟山明 - 衆議院議員
- 溝手顕正 - 参議院議員
- 浜田和幸 - 国際政治学者
- 山田雄一 - 経営心理学者、元明治大学学長
- 水越豊 - ボストン・コンサルティング・グループ日本代表
- 運動選手
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