藤本敏夫
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藤本 敏夫 (ふじもと としお、1944年1月23日 - 2002年7月31日)は兵庫県甲子園生まれの学生運動指導者。同志社大学文学部新聞学科中退。
1968年7月、同志社大学在学中に、中核派、社学同(社会主義学生同盟)、社青同解放派からなる三派全学連が分裂後、中核派以外が参加した通称反帝全学連の委員長に就任。自身はブント系の社学同所属だった。
1972年5月、防衛庁襲撃事件などで投獄中に加藤登紀子と獄中結婚。
1976年、大地を守る会会長。有機農業の普及に関わる。
農業の理想を追求し、自ら実践するため
1981年、自然生態農場「鴨川自然王国」を設立し、主催。
1992年、みどりといのちのネットワーク、原発いらない人々、ちきゅうクラブを糾合した環境政党「希望」を結党し参院選に出馬、落選。
2002年に、肝臓ガンのため永眠。 娘は、歌手のYae。
[編集] 主な著作
- 農的幸福論―藤本敏夫からの遺言
- 全共闘30年―時代に反逆した者たちの証言
- 藤本敏夫の糖尿病変革論―愛する糖尿者に贈る
- 不健康長寿国ニッポン
- 希望宣言―日本の「風と土」をとりもどす「無農薬政治」への道
カテゴリ: 新左翼活動家 | 国政選挙立候補経験者 | 1944年生 | 2002年没 | 人物関連のスタブ項目