藤橋城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤橋城(ふじはしじょう)は、現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町鶴見(旧藤橋村)にあった、南北朝時代の城である。正式な名は杉原砦。
目次 |
[編集] 歴史
南北朝時代、南朝側の新田義貞が、北朝側の土岐氏に対抗し築城したとされる。資料によっては築城時期が1400年頃となっているが、1400年頃は新田義貞はもう生存しておらず、南北朝時代も終わっている為、矛盾がある。この付近には多数の山城があり、南朝勢力側の砦があったのは事実である。廃城時期は不明。
この地(当時の地名では美濃国大野郡杉原村)は美濃国から越前国、近江国に抜ける戦略上重要な地であった。この地の住人に杉原家盛(杉原六郎左衛門家盛)があり、後の豊臣秀吉の正室ねねがこの家から輩出される。
[編集] 現在
この杉原砦は、歴史の陰に隠れる運命であったが、1989年、旧藤橋村がこの地に西美濃プラネタリウムを建設。外見を天守閣風にし(天守閣のモデルは彦根城?)、藤橋城と名づけた。これにより、藤橋城の名が一般的になりつつある。
かっての杉原砦の痕跡は全く無く、説明の看板があるのみである。城址として見るべくでなく、完全な観光地として成立している。
[編集] 西美濃プラネタリウム
現在の藤橋城は4階建てで、1階が西美濃プラネタリウム、2階が星の展示室、3階が旧藤橋村の歴史と民俗の展示(甲冑も展示)、4階が展望室である。
開館時間は10:00~16:00、休館日は毎週月曜日、火曜日(祝日と重なる場合は変更あり)、及び12月~3月(積雪の為)。