ノート:西郷隆盛
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[編集] 西郷隆盛の経歴を個人で書くのは無理
現在の西郷隆盛の内容はあまりにも貧弱である。かく批判する私も、西郷を一人で書くほどの自信がない。西郷の生涯は幕末・維新史そのもので、書けば膨大な量にのぼる。そこで提案であるが、安政の大獄あたりから1年ごとに項目を設け、各人が少しずつ書き加えて完成しようではありませんか。賛成者がいたら意見を書いて下さい。さすれば、私も微力ながら手伝いたいと思います。2005年8月13日
- 項目とはなにのことでしょうか。意味がとれませんでした。それから、ノートページには署名をお願いします。~~~~と書くとセーブ時に日付入り署名に変わります。どなたの発言かわからないと議論が混乱しますので。よろしくお願いします。--Aphaia 2005年8月13日 (土) 14:41 (UTC)
項目と書いたのは目次のことで、目次の1.経歴を細かく年ごとに分割して書こうという主旨です。桐野利秋・篠原国幹・村田新八・永山弥一郎・池上四郎・淵辺群平等をこの7月頃から8月にかけてまとめて書いたのですが(本来は祖先にあたる池上四郎だけを書こうと思ったのですが、他があまりに貧弱な内容だったので、ついバランスをとるために村田その他も書いてしまった。余計なことをするとお怒りの方もいらしゃると思いますが……)、これでもかなりセーブして書いたつもりです。同様の程度でまとめて書いたら西郷は膨大になります。しかし、それでないと百科事典としての用をなさないと思います。2005年8月13日木村秀海
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- お返事ありがとうございます。ご趣旨了解しました。おっしゃるとおり、経歴のところはさらに章立てしてそれぞれをもう少し書き込んだほうがよいように思います。これは提案ですが、とりあえず、現在あるものを斉彬公在世時・幕末・維新後くらいに割ってさらにその中を書きつつ分割をほどこしていくというのはいかがでしょうか。
- 量の問題ですが、事跡の大きい人物はどうしても項目が長くなります。最近みたものでは源頼朝などが比較的大きかったでしょうか。大きな項目のサイズや章立ての目安としてごらんいただけば幸いです。
ごくおおまかな区分ですが、西郷隆盛の経歴に
幼少時代、郡方書役時代、斉彬時代、大島潜居と沖永良部島遠島前後、禁門の変・第1時長州征伐前後、薩長同盟前後、王政復古前後、戊辰戦争、藩参政時代、政府改革と留守政府、征韓論前後、下野生活と私学校、西南戦争前、西南戦争1(田原坂・熊本城長囲戦)、西南戦争2(人吉攻防戦)、西南戦争3(宮崎攻防戦)、西南戦争4(延岡攻防戦)、西南戦争5(可愛嶽突囲)、西南戦争6(城山攻防戦)
という項をあらかじめ立て(項名も書く人が適宜で変更するという前提で)、各人が書けるところから書いていくというのでいかがでしょう。
同様にWikipediaの「西南戦争」も目次の経過に
火薬庫襲撃事件・西郷刺殺事件、私学校本校大評議前後、川尻の遭遇戦、熊本城長囲、田原(田原坂)・吉次方面、山鹿・木留方面、川尻・八代方面、御船方面、豊後竹田方面、三田井方面、人吉方面、大野方面、大口方面、鹿児島方面、都城方面、宮崎方面、延岡方面、可愛嶽突囲、城山籠城
と項を立てもっと詳細に書き直したらよいのではないかと思います。私は紀元前10世紀から紀元頃までの中国史が専門で、日本近代史の分野は全くの素人です。子孫用に「池上四郎年譜」という先祖の行状を記した論文を書き残しておくために2年以上かけて百数十種の本と論文・公文書・国会図書館の貴重図書(未翻刻書簡)等を調査したのですが、目的が通常と異なるために、私が読んだ資料は池上四郎関係のものに偏っているという如何ともしがたい欠陥があります。そこで各人が西郷隆盛や西南戦争について御存知の部分を書いてくださったら、自分の知っている範囲内で少しは書き加えなどができるのではないかと考えて、このような提案をしているのです。木村秀海 2005年8月14日 (日) 11:34 (UTC)
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- ちょっと本筋から外れる書き込みで申し訳ありません。ご本名で登録して専門も明記しておられますので、プライバシーの侵害ではないと判断して書き込ませていただきます。関西学院大学の木村先生ですよね。専門の研究者として資料読解や過去の論文の取捨選択のトレーニングを積んだプロの研究者の方のウィキペディアへの参加は、参加者の一人として非常に心強く感じます。私は生態学の研究者ですが、以前学芸員として地域の社会教育に携わっていたこともあり、プロの研究者の方の専門的知識や分析技術と、そうではない方の疑問・関心が交流、接触する部分で、何か新しい展開が生まれることに強い関心を抱いてきました。ウィキペディアもそういう場であって欲しいと願って参加しております。御参加深く歓迎いたします。雑文失礼致しました。--ウミユスリカ 2005年8月14日 (日) 12:31 (UTC)
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あらためまして、ウィキペディアへようこそ。ご提案の方向はウィキペディアでも比較的浸透している手法で、抵抗なく受け入れられるのではないかと予想します。項目を改変して、おはじめになってはいかがでしょうか。--Aphaia 2005年8月14日 (日) 12:43 (UTC)
ご質問のように関学の木村です(利用者登録したので自己紹介はそちらを)。まだ使い方がよくわからないので、目次の書き改め方を教えて下さい。木村秀海 2005年8月14日 (日) 17:03 (UTC)
ご紹介拝読しました。さっそくですが、見出しは ==見出し==のような書式で行頭に書きます。=の数を増やすことで小見出しを深くしていくことができます。
==見出し== ===中見出し=== ===中見出し2=== ====小見出し====
と書くと
[編集] 見出し
[編集] 中見出し
[編集] 中見出し2
[編集] 小見出し
このように表示されます。
見出しのタイトル名をかえるには、==で囲った中の文字をかえ、セーブします。このほかウィキ独特の表示記号についてはProject:編集の仕方に案内がございます。ですが、各人で直しあうことができるというのが長所ですので、気にせず文章を書いていってくださるのがよいのじゃないかと思います。
ご提案の見出し案を項目のほうに反映させてみました。いくつかはいまある文章からみると細かくなってしまうため、コメントアウトで隠し見出し(<!-- -->で囲うと表示されなくなります)にしてあります。執筆される方が適時表に出していってくださればと思います。
各人で書いていくということでしたら、歴史好きの方々に陽に呼びかけてみるというのはいかがでしょうか。たとえば、歴史項目を主に書く人たちのためにコミュニケーション用のページがありますので、そこで呼びかけてみるというようなことができるかなと思いました。 --Aphaia 2005年8月14日 (日) 21:00 (UTC)
[編集] 元服に関する情報
「幼少・青年時代」の項目には、隆永を名乗った元服の時期や烏帽子親などの情報を入れたいですね。どなたか情報を持っておいででしょうか。--ウミユスリカ 2005年8月15日 (月) 10:30 (UTC)
[編集] 書き入れと訂正についてのお願い
本職用の論文の気休めに書いているので、遅々として進みませんが、エピソードという項目を立ててみました。経歴の部分は何年になにをしていたということを御存知でしたら1行でも書くという形で加えていったらいかがでしょう。全体の流れは気付いた人が直せばいいのですから。私は「西郷家の女たち」という本を読もうと思っていながら、暇がなくて読んでいないのですが、読んだ方はそれを参考文献に入れて、内容を反映していただきたい。伊集院兼寛の姉についての訂正は感謝しています。どしどし手を入れてください。木村秀海 2005年8月16日 (火) 07:31 (UTC)
[編集] 日付
記事中に詳細に日付が入っておりますが、これは旧暦でしょうかそれとも西暦に換算したものでしょうか。ウィキペディアでは一般に西暦を用いますし、冒頭の生年月日・没年月日は西暦によるものなので、本文中が旧暦による日付でしたら、そのことを冒頭段落(かまたは経歴の出だし)で断ったほうがいいように思います。いかがでしょうか。--Aphaia 2005年8月19日 (金) 03:53 (UTC)
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- 年月も日付も明治6年正月元旦から新暦(西暦)を用い、それまでは伝統的な旧暦の年・月・日を用います。さもないと、これを見ながら当時の書物や文書・日記・書簡などの資料を見たり、調査したりする時に利用ができなくなります(原資料はいずれも上記の記日法で書いてあります)。現時点で二重に期日をつけるのは大変な作業です。旧暦を新暦に換算するサイトもあるので、それを利用して( )で書いてくれる方がおられたら助かるのですが。とりあえずはご提案通り冒頭に注意を書いて置きます。木村秀海
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- 注記ありがとうございます。新暦換算は、ぼちぼち人海戦術でやっていきましょう。--Aphaia 2005年8月19日 (金) 15:42 (UTC)
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- 冒頭のような注意書きは本記事だけに関わらず、すべての歴史的事象に関する記事についても言えるので、テンプレートがあれば便利なんですけどね。私も旧暦で書くことが多いので。ここに書くことじゃないとは思いますが。。。Boa 2005年8月20日 (土) 00:54 (UTC)
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こんにちは。脇から失礼します。私も記事を書きながらひそかに何度も悩んでました。中国などでも1912年の清朝の滅亡(グレゴリオ暦2月12日)までは太陰太陽暦を用いていますしね。私自身は基本的には当時使っていた暦を使い、見出しや節目の部分などに当時の暦の日付にグレゴリオ暦を但し書きすればいいと思っていますが、どうやら問題は大きそうで、歴史ポータルあたりで議論すべきでしょうね。Aboshi 2005年8月20日 (土) 05:36 (UTC)
- 歴史ポータルあたりで議論して、スタイルマニュアルに反映させていただけるとうれしいですね。あと、個人的には西暦(旧暦)と旧暦(西暦)の二つの順序があちこちが混在しているのも気になっています。個人的にはどちらでもいいので統一見解があるといいなと思ってます。--Aphaia 2005年8月20日 (土) 05:42 (UTC)
[編集] 西郷さんの思想?
こんにちは。急速に西郷隆盛の記事が整備されていくありさまに目を見張っております。さて、無知を恐れずに申し上げるのですが、西郷さんといえば「敬天愛人」に代表されるようなその人柄と思想で、同時代から現代に至るまで多くの人に愛されている人物です。ただ、西郷の場合同時にそのあたりが茫漠としている感じを多くの人が持っているかと思います(そのあいまいなところがまた人気の理由になってそうですが)。そこで、先行研究などを踏まえて、一項を設けて西郷の思想面などについて記述がされればなどと考えているのですが、いかがでしょうか。
例えば江戸時代後期の儒者・佐藤一斎の影響を強く受けているという話を聞きますが、そのあたりの伝統的知識などがどうつながっていくのかなどが非常に興味があります。本件は一介の勤労者である私の手には負えるものではなく、あつかましいのですがみなさまへの加筆の期待ということで書いてしまいます。(私の地元は渡辺崋山が家老を勤めていた藩のあったところですが、その崋山が画論に明末清初の思想家・顧炎武などの名前を出されたりするとどうつながるのかとまどってしまい、西郷の記事がうまくいけば参考にしてしまいたいなあなどと企んでいます)Aboshi 2005年8月20日 (土) 06:01 (UTC)
[編集] 記日法と思想、および記事の長さについての質問
中国・日本・イスラムの場合、西暦に換算すると、年も含めてずれる場合が多いですが、旧暦さえ書いておけば、新旧暦換算用の書物(サイトも)が何種類もあるので、西暦に精確に直せます(慣れればだれでもできます)。一旦西暦記日法に直して書いてあるものは、その換算が正しくなされていなかったら、原資料を読む場合に支障をきたします。歴史を小説だけで読み、楽しむ場合は別ですが、すこし深く原資料(原典・公文書・書簡も専門書店。サイトでも簡単に手に入れられる環境がととのいつつあります)も見てみようという人には西暦換算してある事典等は不便どころか、役にも立ちません。したがって、記事には年と特別に必要があると考えられる月日(見出し、重要事件等)だけに()で西暦記日を付記し、他の月日は全体用に注記してたうえで旧暦で書くのがよいのではないかと思います(「凡例」か「例言」という一項を立てるのが最もよい方法ですが…)。正式の論文等(現代史を除けば)では注記もなしに年だけに西暦を付記するのが一般的だと思います。これが一番便利です。また歴史小説や歴史評論でもそのようにしていると思います。統一見解を作るべきという意見には賛成します 思想についてもぜひ書きましょう。とりあえず節を作っておきます。ただ論争の場になる危険性も孕んでいますので、中立的立場を維持できる人に書いてほしいですね。特に人物評価の揺れている場合には。
ところで質問ですが、今、西郷隆盛の経歴は三分の一ほどしかできていないのですが、どのくらい長く書けるのでしょうか。また長くなった場合にはどうしたらよいのでしょうか。とりあえず経歴をいくつかの節に分けておきます。私はなれていないので、この方面はよくわかりません木村秀海 2005年8月20日 (土) 09:12 (UTC)
- はじめまして。プロの研究者のご参加、頼もしく思っております。項目の長さについては、特別ページ中の長いページでランキングがありますのでご参照下さい。上位はほとんど一覧記事ですが、一番分量の多いもので、和紙やクレヨンしんちゃんクラスの約3倍になり、英語版にはさらに3、4倍というとんでもない分量のページが存在します。事実上上限はないものとお考え下さい。(サーバへの負担、可読性などはまた別問題でしょうが)
- 項目の内容があまりに長くなりすぎて一覧性に欠ける、と判断されるようなら、分割という手段もあります。wikipedia:著作権#ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストによる方法で、記事を分割することができます。--Charon 2005年8月20日 (土) 09:34 (UTC)
[編集] 桂久武日記についての新聞記事に関する質問
桂久武(右衛門)は西郷の真の親友として知られていますが、この1、2ヶ月以内の朝日新聞に、薩長同盟時の桂久武の滞京日記が見つかり、その中に21、22日には坂本龍馬が現れず、裏書きは後で書いたのでは云々という記事があったと思うのですが、内容を覚えておられる方、もしくは切り抜きをお持ちの方がいらっしゃったら、内容をお教え下さい。私はそのころには西郷隆盛を書くようになるとは思わず、池上四郎が出てくるかも知れないので、出版されてから買って読もうと思っていた程度でしたので、内容もうろおぼえです。よろしくお願いいたします。木村秀海 2005年8月21日 (日) 17:28 (UTC)
[編集] 人名の書き方についての質問
例えば、西郷従道を西郷信吾でも引いて出てくるのには西郷従道(西郷信吾)と書く以外に方法はありませんか。中国人の場合にも白居易(楽天)は、諱の居易より字の楽天の方が有名ですが、どのようにしたよいのですか。北村重頼も通称の北村長兵衛の方が近藤勇などと戦った新撰組関係の小説には多いように思いますが、……。木村秀海 2005年8月26日 (金) 15:51 (UTC)
- それは、一人の人物に複数の呼び名が対応する場合に、そのうちの一つ(仮に名前1とします)を項目名として採用していて、それ以外の名前で検索ないしはリンクしたときに、名前1という項目にたどり着くようにするということでしょうか?でしたら、リダイレクトという機能を使えば実現できます。具体的には、リンクさせたい名前のページに
#REDIREDT [[名前1]]
- とかいておけばよいです。
- 細かい点についてはWikipedia:リダイレクトをご参照ください。yhr 2005年8月26日 (金) 16:04 (UTC)
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- 確かにこのリダイレクトです。ありがとうございます。木村秀海 2005年8月27日 (土) 10:08 (UTC)
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[編集] 著作権、引用
海音寺潮五郎の引用をされていますがまだウィキぺディアでは著作権あるものを含めて議論中で将来削除される可能性もありますことお含みおきください。Wikipedia‐ノート:著作権/引用についての抜本対策 Izayohi 2005年8月28日 (日) 23:30 (UTC)
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- ご注意、ありがとうございます。出典と引用文であることを明確に示したうえで引用した書簡の現代語訳は、海音寺潮五郎氏が著作中で全文訳している書簡の20%にもおよばないので、これ自体が著作権に関わるとは考えられません。ただ、書き替えも可能、複写後の改変使用も可能という、このウィキぺディア特有の性質から考えると、後で誰かが引用部分を書き替え、著作権に抵触する場合が有り得ます。よって、書き改めます。
[編集] 西郷隆盛の経歴の終了
やっと経歴を書き上げました。テーマごとに歴史評論風にまとめるか、年譜と伝記の中間のようにするべきかは書いている途中に何度か迷いましたが、後者の方が種々の利用法があると思い、そうしました。私たちが人名事典を引くときは、何も知らないから引いて基本的な知見を得ようとする場合もありますが、大抵の場合はもっと詳細に知りたいと思って引くのが普通です。しかし、ほとんどの場合、基本的なことだけ書いているか、大きな問題だけしか書いていません。そこでやむなく伝記とか年譜を読むはめになります(年譜などは専門家でもないと捜せない場合があります)。これは人名事典も含めた諸事典の集大成である百科事典の場合も変わりません。
私はこの点についていつも不満を持っていました。もう少し何年に何をしていたかがわかったら、利用者に便利であるのにと思っていたのです。ですから、この西郷隆盛の項を借りて、年譜と伝記の中間ぐらいの形で経歴を書いてみました。これが諸氏の意にかなうかどうかはわかりませんが、便利になったことは間違いないでしょう。この形の記述は、日付を入れるので文が書きにくい、淡々とした記述になってしまうなどの欠点はありますが、誤りや新発見があった場合に書き改めや書き加えが簡単であるという長所もあり、やや大きな人名事典としてはかえって長持ちするのではないかと考えています。
今回の記述中には2つの新しい事実が盛り込まれています。1つは別府晋介の朝鮮派遣のことで、池上よりあとに北村重頼少佐・河村洋与少佐とともに出掛けたことが国文書で確認できました。これは同文中に書くときの順序に反映させました。もう1つは、西郷が官位を剥奪された日がわかったことで、これは追贈に書きました(実物で確認したい方はアジア歴史資料センターのリファレンス番号を文献の欄に書きましたので、ネットで御覧下さい)。これも公文書で確認できたことで、新発見でしょう。本百科事典から広がっていくことを期待しています。
期待といえば、その他の部分をだれかが書いてくれることを期待しています。私は9月から校務が忙しくなって、冬休みにしか本格的には書けないので、よろしくお願いいたします。西南戦争の項も来年の春頃まで残っていたら、努力してみたいと思っています。木村秀海 2005年9月5日 (月) 17:14 (UTC)
- 力作執筆、お疲れ様でした。ある意味、人物記事の到達点というか目指すべきスタンダードのようなものが示されたのではないでしょうか。私も様々な関心分野の記事の物足りない点、俗説に流されている点をあちこち微修正しているに過ぎない状態ですが、いずれきちんと資料収集できる立場にある分野に関して、レファレンスも充実させて完成度の高い記事を書くことを目指さねばと襟が正される思いがしました--ウミユスリカ 2005年9月5日 (月) 22:47 (UTC)。
[編集] 勝海舟との初対面の時期について
勝海舟のWikipediaのページでは初対面は長崎海軍伝習時代となっています。 どちらが正しいのでしょうか? --ミズクサ 2006年6月6日(火)
[編集] 冒頭概略文をつくりました
本文がウィキペディアの項目としては非常に長大なため、ごく簡単に西郷について知りたい人のために2005年2月13日 (日) 16:31の文章を復帰し、文意が通るように一部補正しておきました。長文項目の多い英語版ではわりあいに行われている手法です。より深く知りたい人は本分に進むという具合です。なお、あくまで冒頭の概略文なのでこれは節には分離するべきではないと思います。また、この部分ではごく簡単に西郷の生涯を解説するので、細かいことは加筆しない方がいいでしょう。--味っ子 2007年1月25日 (木) 13:27 (UTC)
[編集] 非常に充実した記事だと思います
編集者の方の間で、ある程度記事がまとまったと判断なさったなら、いつかWikipedia:秀逸な記事の選考にだしてみることをおすすめします。過去には以下の記事が選考にかけられているので、記事の仕上げの際の検討材料になさってみてください。
- 通過したもの
- 通過しなかったもの
秀逸な記事の目安については、Wikipedia:秀逸な記事の選考に記されています。僭越ながら期待申し上げております。--ZERO 2007年3月7日 (水) 23:57 (UTC)