訛里朶
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訛里朶(がりだ、女真音:オリド、1096年 - 1136年)は、金の皇族である。初代皇帝の阿骨打の第五子。爵位は豳王(ひんおう)。姓は完顔、中国名は宗輔、後に宗堯。
金史によると、威風凛々とした容貌の持ち主で、寛大で包容力があった。 また、家臣達に対して、恩顧を恵むような政務を行ない人望が厚かった。
1136年(天会13年)に南宋へ討伐に赴いた時に、病を得て41歳で逝去した。 彼の死の報を聞いた家臣で泣かぬ者はなかったという。
後に長子の葛王・烏禄が暴君であった従兄の海陵煬王を廃して即位すると、亡き父に対して睿宗・立徳隰仁廬茎広傳文武簡粛皇帝の廟号と諡号を贈り、大房山に丁重に葬って、「景陵」と名付けた。
[編集] 妻妾
- 貞懿皇后(李氏)
[編集] 子女
- 葛王烏禄(世宗)
- その他、多数