諏訪頼隆
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諏訪頼隆(すわよりたか、? - 享禄3年(1530年)4月18日)は、戦国時代の人物。諏訪氏の一族。大祝。諏訪頼満(碧雲斎)の子。諏訪頼重、諏訪頼高の父。諏訪満隣の兄。刑部大輔。
父に譲られて大祝となったが、嫡男の頼重が誕生すると、1520年に大祝を頼重に譲っている。隣国の甲斐において武田信虎が台頭するとこれと対立し、信虎の諏訪侵攻を撃退し、のちに信虎が家臣の今井氏や飯富氏らと対立すると、父と共に出陣し、反信虎勢力を支援した。1530年に父に先立ち没した。諏訪大社の神事をめぐる神官同士の対立を仲裁した際に先例を曲げたため神罰が下ったといわれているが定かではない。
諏訪頼隆(すわよりたか)は、江戸時代の人物。諏訪頼基(諏訪忠晴の実子)の養父。
江戸時代においては、諏訪氏は諏訪頼忠の子の代から大名家(頼水系)と大祝家(頼広系)の二系統が存在した。頼隆は大祝家の一族で、元禄年間に諏訪大社の大祝であった。