貞享騒動
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貞享騒動(じょうきょうそうどう)とは、1686年(貞享3年)に信濃国松本藩で発生した百姓一揆である。
[編集] 経緯
- 1686年の作柄は、例年と比べて不作であったが、松本藩は年貢1俵あたりの容量を3斗から3斗5升に引き上げる決定を行った(1斗=18.039リットル、1升=1.8039リットルに換算)。周辺藩の基準は1俵あたり2斗5升であり、1.4倍以上(軽度の脱穀作業も求められたため)という著しい増税状態となった。
- 安曇郡長尾組(組は藩領を分割する大単位、現在の長野県安曇野市三郷・堀金地域)の名主、多田加助(嘉助)を中心とした農民は、1俵あたり2斗5升への減免を求める訴状を松本藩へ提出。騒ぎは各組に伝わると、1万とも伝えられる農民が松本城下へ押し寄せる騒ぎとなった。
- 当時の藩主、水野忠直は、参勤交代のため不在であった。事態を重く見た城代家老は、早々に騒動を収集するべく、多田加助ら農民側の要求をのむ一方、江戸の藩主に注進。藩主の裁可を得た上で年貢の減免要求を反故にし、関係者の捕縛に臨んだ。
- 最終的には多田とその一族、同志ら28人は磔、獄門などの極刑に処された。2斗5升までの年貢の減免は認められなかったが、元通りの3斗に引き下げられることになる。
- 1725年、時の藩主水野忠恒が改易となり、支配権は松平家に移った。これを契機に騒動の言い伝えが表面化し、事件発生後50年を迎えた1736年、多田を祭神とする神社(貞享義民社)が造られ現在に伝わる。
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