赤星統家
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赤星統家(あかほし・むねいえ、1530年(享禄3年) - 1619年(元和5年)は、肥後国の有力国人。赤星親家の子。正式な名のりは藤原統家(ふじわら・の・むねいえ)。
赤星氏は、菊池氏の一族で、菊池武房の弟の赤星有隆を祖とし、隈部氏、城氏と共に菊池氏の三家老家の一つで、肥後国の有力国人領主。
赤星統家は、父・親家の死後、隈府城主となる。龍造寺隆信の肥後侵攻の時、龍造寺氏に降し、息子を人質に出すが、龍造寺隆信に殺されるや統家は、反龍造寺の旗色を鮮明にして、島津氏の幕下に入る。
赤星統家の娘は、筑後国柳川城の蒲池鎮漣の正室であり、柳川落城の際に長崎の有馬氏のもとに落ち延びた蒲池徳子の母親とされる。