赤星親家
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赤星 親家(あかほし ちかいえ、永正11年(1514年) - 永禄5年(1562年))は戦国時代の武将。肥後の国人。通称、肥前三郎。官位は式部丞、安芸守。号は道雲。赤星重隆の子。合志親為の兄。赤星統家の父。
親家の赤星氏は菊池氏の一門で菊池三家老の一人であったが、1550年の菊池義武復帰戦では義武に味方せず大友氏に協力。その功で城氏ののち、菊池氏の本拠地であった隈府城主となったという(父の重隆の代から赤星氏が城代であったとも)。しかし、1559年、同じく菊池三家老の一人であった隈部氏の隈部親永と対立し、隈部方の猿返城を攻めたが、親永の反撃に合い敗北(合瀬川の戦い)、以後勢力が衰えた。
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