退蔵院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
退蔵院 | |
---|---|
方丈(国重文) |
|
所在地 | 京都府京都市右京区花園妙心寺町35 |
位置 | 北緯35度1分18.76秒 東経135度43分9.24秒 |
山号 | (妙心寺塔頭) |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | |
創建年 | 応永11年(1404年) |
開基 | 波多野重通、無因宗因(開山) |
正式名 | |
別称 | |
札所等 | |
文化財 | 紙本墨画淡彩瓢鮎図(国宝) 方丈・花園天皇宸翰消息・後奈良天皇宸翰徽号勅書・後奈良天皇宸翰消息(国重文) |
退蔵院(たいぞういん)は京都市右京区花園にある臨済宗大本山妙心寺の塔頭(たっちゅう)である。初期水墨画の代表作である国宝・瓢鮎図(ひょうねんず)を所蔵することで知られる。
目次 |
[編集] 歴史
応永11年(1404年)に越前の豪族・波多野重通(はたのしげみち)が妙心寺第三世・無因宗因(むいんそういん)を開山として千本通松原に創建し、日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)により妙心寺山内に移される。一時期衰退するが、後奈良天皇の帰依が深かった亀年禅愉(きねんぜんゆ)により中興される。
[編集] 建造物
- 方 丈(重要文化財)
- 内部の襖絵は狩野光信の高弟であった狩野了慶の筆によるもので、桃山後期の優れた遺品とされる。(内部は通常非公開)
- 大玄関(重要文化財)
[編集] 庭園
- 元信の庭
- 余香苑(よこうえん)
- 昭和38年(1963年)から3年の月日を費やして造園家の中根金作(なかねきんさく)が作庭した昭和を代表する名園で、大刈込みの間から三段落ちの滝が流れ落ち,深山の大滝を見るような風情がある。
- 水琴窟(すいきんくつ)
[編集] 文化財
[編集] 国宝
- 紙本墨画淡彩瓢鮎図
- 室町水墨画の先駆者・如拙の作。如拙筆の確証がある数少ない作品の一つで、日本の初期水墨画の代表作の一つである。画面上部の序文により、室町幕府4代将軍足利義持の命で制作されたことがわかる。つるつるの瓢箪でぬるぬるしたなまず(「鮎」は「なまず」の古字)を捕まえるにはどうすればよいかという,およそ不可能な問いかけを図示したものであり、禅の公案を絵画化したものである。現状、紙面の下半に絵があり、上半部には序文に続けて30名の禅僧による賛が書かれているが、当初は座屏(ついたて)の表裏にそれぞれ絵と賛を貼ったものであった。(原品は京都国立博物館に寄託され、寺で見られるのは模写である。)
[編集] 重要文化財
- 本堂(方丈) 附:玄関
- 花園天皇宸翰消息
- 後奈良天皇宸翰徽号勅書
- 後奈良天皇宸翰消息