遠藤基信
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遠藤 基信(えんどう もとのぶ、天文元年(1532年) - 天正13年10月21日(1585年))は、伊達氏の家臣。不入斎の号を好んで用いた。子に遠藤宗信がいる。
はじめは中野宗時の家臣であったが、宗時が伊達輝宗に謀反を起こしたとき、宗時の謀反を直前に密告したことを輝宗に賞されて、輝宗配下の宿老として取り立てられた。このとき、1500石の所領を与えられている。
基信は行政手腕に優れており、後に伊達政宗の軍師となったことで有名な片倉景綱を推挙したり、織田信長、徳川家康、北条氏照、柴田勝家らと頻繁に書状を取り交わして交渉を行なったりしている。1585年、輝宗が二本松義継に拉致されて殺された後、死去した。輝宗の忌日の10月21日に輝宗の墓前で自刃したと言われている。