都留文科大学
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都留文科大学
大学設置 | 1960年 |
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創立 | 1953年 |
学校種別 | 公立 |
設置者 | 都留市 |
本部所在地 | 山梨県都留市田原三丁目8番1号 |
学部 | 文学部 |
研究科 | 文学専攻科 |
ウェブサイト | 都留文科大学公式サイト |
都留文科大学(つるぶんかだいがく、英称:TSURU University)は、山梨県都留市田原三丁目8番1号に本部を置く日本の公立大学である。1960年に設置された。大学の略称は「都留文」、「都留大」。 地元では「文大」と呼称し、学生を「文大生」と呼ぶことが多い。学長は金子 博。
目次 |
[編集] 概要
1953年設置の山梨県立臨時教員養成所が起源。都留市の中心部である谷村は、江戸時代に谷村興譲館という学校が設立されるなど、教育・文化を重視する風土があり、臨時教員養成所の誘致や短期大学への移行は市民の力が大きく働いた。市民のボトムアップによって設立された大学という点では日本では希有な存在である。しかし、地方小都市による大学運営は並々ならぬ苦労があり、70年代には国立移管(都留市外への移転を伴う)は市長選の公約になったくらいであった。現在は市も大学を政策の大きな柱の一つとして位置づけている。2003年に創立50年を迎え、公立大学では伝統校の部類に入る。
1960年の4年制移行時は初等教育学科、国文学科の2学科でのスタートだったが、現在は5学科、大学院5専攻、約3000人の学生を擁するまでになった。アメリカ・カリフォルニア大学、中国・湖南師範大学との交換留学制度があるなど、国内外の大学との交流も増えている。
1964年に附属小学校が設置されているが、これは、都留市立谷村第三小学校を校名変更、改組したもので、都留市教育委員会によって他の公立小学校と変わらない運営がなされている。つまり学区内に居住していれば入学できる。これは大学の附属小学校としては唯一の存在であり、市立大学だからこそであろう。
学部生の出身地は地元都留市が1%程度、山梨県に広げても10%弱であり、約90%は他の都道府県から学生が集まる全国区大学である。 この傾向は都留短大時代に既に見られた。それは1950年代後半に国立大学が2年制の教員養成課程を廃し、4年制に一本化しはじめたことによるもので、2年で教員資格が取れる都留短大は全国から学生が集まった。 4年制移行直後の1961年には全国各都市に試験地を設ける地方試験を開始、これは当時国公立はもちろん、私立を含めても類を見ないものであった。昔から公立は国立と別日程であったこともあり、この地方試験によって、教員志望者が地元の国立大の次に志望する大学という地位を徐々に築いて来たのである。 現在、学部の一般入試は国立と同じ前期日程と公立独自の中期日程の分割日程で、推薦入試が16都市、一般入試が12都市で行われている(試験場は2007年度予定、都留会場を含む)。
2007年2月、都留文科大学法人化検討委員会[1]の報告を受け、小林義光都留市長が2009年4月をめどに独立行政法人化の検討を進める方針を表明した。具体的方策を詰める準備委員会が今後設置される予定であり、独立行政法人化の方向は決定的ではあるが、前述どおり非常に特徴のある地方小都市の公立大学としての長所を残していけるのか、各方面より注目を集めている。
[編集] 交通
[編集] 沿革
- 1953年 山梨県立臨時教員養成所設立。校舎は旧制谷村高等女学校校舎(現在都留市役所のある場所)を1966年の移転まで使用する。
- 1955年 都留市立都留短期大学(初等教育科、商経科)を設立。
- 1960年 都留市立都留文科大学(文学部初等教育学科、国文学科)を設立。
- 1961年 都留短期大学併合。
- 1963年 英文学科を設置。
- 1964年 附属小学校を設置。
- 1966年 現在地に移転。講義棟(現1号館)完成。
- 1972年 体育館完成。
- 1974年 美術研究棟完成。
- 1977年 付属図書館(現4号館)完成。
- 1979年 体育研究棟完成。
- 1981年 本部棟、学生ホール完成。
- 1982年 自然科学棟完成。
- 1985年 音楽研究棟完成。
- 1987年 社会学科を設置。
- 1989年 新研究講義棟(現2号館)完成。
- 1991年 文学専攻科(教育学専攻、国文学専攻、英文学専攻)を設置。
- 1992年 コミュニケーションホール完成。
- 1993年 比較文化学科を設置。
- 1995年 大学院文学研究科修士課程国文学専攻、社会学地域社会研究専攻を設置。第三講義棟(現3号館)完成。
- 1998年 文学研究科修士課程英語英米文学専攻を設置。
- 2000年 文学研究科修士課程比較文化専攻を設置。
- 2003年 文学研究科修士課程臨床教育実践学専攻を設置。地域交流・学習臨床教育センターを開設。
- 2004年 新附属図書館完成。富士急行線「都留文科大学前駅」開業。
- 2007年 社会学科に環境・コミュニティ創造専攻、現代社会専攻を設置。
[編集] 歴代学長
(在任期間、氏名、就任当時の所属・肩書の順)
- 都留短期大学
- 都留文科大学
- 1960年4月1日~1964年3月31日 - 諸橋轍次
- 1965年2月1日~1969年1月9日 - 中西清、都留文科大教授
- 1969年1月10日~1971年4月12日 - 増谷文雄、大正大学教授
- 1973年4月1日~1975年12月21日 - 下泉重吉、東京教育大学(筑波大)名誉教授
- 1976年4月2日~1977年4月7日 - 和歌森太郎、東京教育大名誉教授
- 1977年12月3日~1983年12月2日 - 大田堯、東京大学教授
- 1984年3月5日~1990年3月31日 - 上田薫、立教大学教授
- 1990年4月1日~1996年3月31日 - 白尾恒吉、青山学院大学教授
- 1996年4月1日~2002年3月31日 - 久保木哲夫、東京家政学院大学教授・都留文科大名誉教授
- 2002年4月1日~ - 金子博、都留文科大教授
[編集] 学部・大学院
- 文学部
- 初等教育学科
- 国文学科
- 英文学科
- 社会学科
- 比較文化学科
- 文学専攻科
- 教育学専攻
- 文学研究科修士課程
- 臨床教育実践学専攻
- 国文学専攻
- 英語英米文学専攻
- 社会学地域社会研究専攻
- 比較文化専攻
[編集] 付属学校
- 都留文科大学付属小学校
[編集] 卒業後の進路
公立唯一の教員養成大学として、これまで多くの教員を全国に輩出してきた。最盛期の70~80年代に比べ教員採用は圧倒的に少ない中、2006年も卒業時進路決定者の約27%を教員が占めている。教員は数年間非常勤講師を経て正式採用されるケースが多いため結果としてはもっと多いだろう。公務員は6%。最近はNGO、NPOなどにも進出している。大学院への進学者も14%と多い。
しかし、漸次整備された各学科に対応した都留文科大学大学院(修士課程)に比べ、他大学大学院への進学は、やや分が悪い。これは、社会学専任教師が乏しい社会学科を筆頭に、比較文化学科等、他大学大学院に都留文科大学のカリキュラムに直結した大学院が少ないことも影響しており、他大学大学院へ進学を希望する学生に多大な自己努力が求められるところとなっている。
学生の90%前後が山梨県外の出身者で、卒業後にその多くが再び地元に戻っていく傾向がある。
[編集] 学生交流
6月に高崎経済大学との間でスポーツ交流戦「鶴鷹祭」(かくようさい。都留=鶴、高崎=鷹)が行われる。
[編集] 大学関係者と組織
[編集] 大学関係者一覧
[編集] 外部リンク
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