野宮定基
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野宮 定基(ののみや さだもと、寛文9年7月14日(1669年8月10日) - 正徳元年6月29日(1711年8月13日))は江戸時代中期の公家。国学者。中院通茂の次男。初名は中院親茂。
叔父の野宮定縁の跡を継ぎ、定基と改名。野宮家を継ぐ。号は松堂。漢学に明るく、和歌をはじめとする諸学・諸芸にも深く通ず。高橋宗恒について、故実を学び有職故実に詳しい。同時代における著明な有識家として後世に名を残す。『黄白問答』は定基が新井白石の問いに答えたもの。『定基卿記』からは、当時の複雑な公家社会の様子を垣間見ることが出来る。
著書に『本朝実記』『平家物語考』『野宮日記』『群記類鑑』『定基歌集』『新野問答』等がある。正徳元年(1711)死去。享年43。