有職故実
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有職故実(ゆうそくこじつ)とは、古来からの先例に基づき、官職・儀式・装束などを研究すること。過去の先例に関する知識を有識といい、知識に通じた者を有識者(ゆうそくしゃ)と呼んだ。後に転じて「有職」と呼ぶようになった。
なお今日、深い学識・見識を持つ人を「有識者(ゆうしきしゃ)」と呼ぶのはその名残である。
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[編集] 江戸時代以前
[編集] 公家故実
平安時代の中期から、先例を伝える知識の体系化が進み、小野宮流、九条流のふたつの流派が生まれた。のちに九条流から有職故実を司る徳大寺家、大炊御門家が出た。
有職故実書の中でも、源高明の『西宮記』、藤原公任の『北山抄』、大江匡房の『江家次第』の三書は「後世の亀鑑」と仰がれ別格扱いであった。室町時代の一条兼良はこの三書を、『西宮記』は古礼、『北山抄』は一条天皇の時代以降の儀式、『江家次第』は後三条天皇の時代以後の儀式と記している。
鎌倉時代以降、専門分化して、研究が盛んとなり、儀式については順徳天皇の『禁秘抄』、後醍醐天皇の『建武年中行事』、一条兼良の『公事根源』、官職制度については北畠親房の『職源抄』、服飾については源雅亮の『雅亮装束抄』などの有職故実書が著された。
[編集] 武家故実
平安時代には、武人の故実は、紀氏と伴氏が伝えていたが、武士の台頭とともに衰えた。
鎌倉時代には、源頼朝が故実に通じた武士を重んじ、故実の復元を図っている。以降、京都から断片的に流入した故実と関東在来の武士の慣習が合わさって、武家故実が体系化されていった。そこから、室町時代に小笠原流や伊勢流が生まれた
[編集] 江戸時代
江戸時代以後、古典研究の発展に伴って民間でも有職故実の研究をする者が現れ、世襲化されて学問としては停滞が見られた公家や武家の有職故実の伝統に囚われない独自の研究が見られた。河内国の壺井義知は民間の出ながら、官職・衣装の研究においては当代随一とされて、公家さえもが教えを乞うたと言われている。公家達の側でも壺井に触発されるかのように、野宮定基・滋野井公麗・裏松光世(固禅)らによってその学問的水準が高められるようになった。また武家側でも新井白石・伊勢貞丈(伊勢氏一族)・田安宗武・塙保己一などが研究家として知られている。
[編集] 近代以後
近代に入ると、旧来の公家・武家制度の廃止によって実用的な意味での有識故実研究の歴史に幕を閉じた。また、官制などの研究は法制史の一部となった。それでも歴史学の一環、あるいは日本文学研究の一環として研究が行われ続け、和田英松などの優れた研究家を輩出した。
[編集] 関連項目
- 日本史
- 法制史
[編集] 外部リンク
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