野田泉光院
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野田 泉光院(のだ せんこういん 宝暦6年(1756年) - 天保6年(1835年))は江戸時代の修験僧(山伏)。本名は「成亮」。俳人としても知られる(俳号一葉)。
野田氏の家系は代々佐土原藩に仕えており、真言宗安宮寺の住職を務めた。泉光院は文化9年(1812年)に全国の諸山をめぐる修行に出て全国各地を訪れた。その6年強にわたる旅の毎日を日記に書き残している。その日記が『日本九峰修業日記』であり、当時の風俗を生き生きと活写している貴重な史料として歴史家より高く評価されている。
[編集] 著書
- 宮本常一『野田泉光院』 (未来社、1980年)
- 石川英輔『泉光院江戸旅日記』 (講談社、1994年)