金君子
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金 君子(キム・クンジャ、Kim Koon Ja、1926年 - )は従軍慰安婦として各地で証言している人。
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[編集] 略歴
証言の変動が激しいので、本人のいくつかの証言をもとに列記する。
- 幼いとき両親をなくした金さんは、六十数年前、日本植民地時代の韓国江原道で、養女に出された。ある日、養父から「お使いに行っておくれ」と言われて、汽車に乗せられた。女性たちがたくさんいて、兵隊の姿も見えた。[[1]]
- 2005年11月「東京の高校生 平和のつどい」における証言 「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に
- 私は10歳で父、14歳で母を亡くし、孤児でした。あの頃はみんなそうでしたが、大変な暮らしで、他人の家に働きに出て日銭を稼いでいましたが、16歳の時、チョロンの巡査の養女になりました。その頃、私にはボーイフレンドがいましたが、結婚できませんでした。1942年3月、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。[[2]]
- 2006年03月02日、朝日新聞での証言、17歳の時、家に朝鮮人2人が来て「工場で働かせてあげる」と言われ列車で中国の琿春に連れて行かれ慰安婦となった
- 幼い時に両親が死んで養女に。17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。列車で連行されたのが旧ソ連国境近くの中国・琿春。慰安所だった。[[3]]
- 終戦後、韓国に戻る。
- 1998年よりナヌムの家に住む。
[編集] 証言履歴
[編集] 証言の内容と信頼性について
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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