鈴木重朝
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鈴木 重朝(すずき しげとも、永禄4年(1561年)? - 元和9年(1623年)?は紀伊の国人で鉄砲用兵集団雑賀衆頭目、鈴木重意(佐大夫)の子とも、孫とも伝えられる。また雑賀衆の頭目が名乗っていた雑賀孫一(孫市)の一人ともいわれている。兄、もしくは叔父に鈴木重兼、兄、もしくは父に鈴木重秀。一時期孫三郎とも呼ばれていたようである。
石山合戦では本願寺に組して戦うが後に降伏、豊臣秀吉に仕えることとなり、朝鮮出兵でも活躍した。関ヶ原の合戦では西軍伏見城攻防戦の先鋒となり、伏見城に篭る鳥居元忠を討ちとった。 戦後は浪人し、伊達家に仕えて騎馬鉄砲隊の組織に関わったのち、伊達政宗のとりなしにより水戸徳川家に旗本として仕えたという。子孫は「雑賀」の姓を名乗り、後に水戸藩の重臣となり、代々「孫一」を名乗った。今もなお雑賀姓は多く現存する。