銀座 (歴史)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
銀座(ぎんざ)とは、中近世の日本の政権において貨幣の鋳造を担った場所に与えられた呼称である。
主に徳川家康が開いた江戸幕府の銀座が知られる。当時の主な流通貨幣のうちの銀貨の鋳造が行われたこと、この場所以外での貨幣鋳造が厳しく取り締まられたこと、などにより「銀・座」の名が付けられたと思われる。
目次 |
[編集] 伏見・銀座町
1601年(慶長6年)、関ヶ原の役に勝利した徳川家康は、日本国内の覇権を意識し、京都の伏見城下に貨幣鋳造所を設立し、堺の両替商、湯浅作兵衛に命じて取り仕切らせ、頭役には、摂津国住吉郡平野郷(大阪市平野区)の豪商の末吉氏の平野(末吉)勘兵衛利方と子の末吉孫左衛門吉康や同族の平野藤次郎、平野九右衛門らがなる。
極印方の湯浅作兵衛は徳川家より大黒常是(だいこくじょうぜ)という姓名を与えられ、これ以降大黒常是家は鋳造された銀貨に「常是」の略号を刻印して銀貨の極印・包装を担当した。
徳川幕府の中枢が移るに従い駿府にも銀座が設けられ、さらに1608年に銀座の機能は全て江戸と京に移された。
[編集] 江戸・銀座
銀座を参照。
[編集] 金座
1595年、徳川家康が京都の金匠後藤床次郎光次に命じ江戸で小判を鋳造させた時に始まる。 静岡市には、現在も小判鋳造された場所が金座町という町名として残っている。同様に、銭座町という町名も存在する。